歌手や俳優として活躍を見せる美輪明宏さん。
実は、若い頃が超絶イケメンと話題になっているのです。
さらに、『ジョジョの奇妙な冒険 Part8 ジョジョリオン』の主人公のモデルが美輪明宏さんであるという噂もあります。
今回の記事では、美輪明宏さんの若い頃についてご紹介します。
目次
美輪明宏の若い頃が異常なくらい美少年
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❝神武以来の美少年❞と称された美輪明宏さん。
その美貌で10代からボーイフレンドには不自由しなかったそうなんです。
中学時代には既に彼氏はとっかえひっかえで、20代前半には「今、付き合ってるのは20〜30人」と雑誌のインタビューで明かしていたほどモテモテでした。
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↑の写真は、1952年頃の美輪明宏さん。
きりっとした眉にパッチりな目。
綺麗な鼻筋に唇が魅力的ですよね。
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美少年ですよね。
全てにおいて、美しいです。
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↑の写真は、1967年頃の画像になります。
色気も感じる美しさですよね。
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1968年『黒蜥蜴』の時の写真になります。
パーマをかけているのでしょうか?
マダム感がありますね。
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こちらも若い頃の美輪明宏さん。
ショートカットがとてもお似合いですよね。
横顔も美しく、鼻のラインがきれいです。
ジョジョのモデルになったのは本当?
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冒頭でも述べたように、美輪明宏さんは『ジョジョの奇妙な冒険 Part8 ジョジョリオン』のモデルになったのではないかと言われています。
- 今思ったんだけど美輪明宏さんさんの若い頃ってジョジョのキャラクターぽい雰囲気が。。
- 美輪明宏さんの若い頃が完全にジョジョ八部主人公
SNSでは上記のように、主人公に似ているとの声が多く見られます。
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こちらが、その噂のキャラクターです。
モデルになったかどうかは不明ですが、確かに、若い頃の美輪明宏さんに似ていますよね。
歌手を目指していた!
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美輪明宏さんは、終戦後映画を見ていた際に出演されていた加賀美一郎の『ボーイ・ソプラノ』に感銘を受け、声楽とピアノのレッスンを始めました。
そして、15歳の時、歌手を目指すため上京。
音楽学校に通ったそうなんです。
音楽学校を中退~歌手デビュー
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しかし、美輪明宏さんが実家に帰省した際、父親が生活苦の親戚を見捨てる姿を目撃。
これに対して、美輪明宏さんは父親を許せず激怒。
大喧嘩の末に、父親からは勘当され仕送りも止められてしまったのです。
その結果、経済的理由で音楽学校を中退し、進駐軍のキャンプでジャズを歌ったり、バーテンダー、ゲイバーなど、様々な仕事を始めました。
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仕送りがなく経済的に苦しかった美輪明宏さんは、なんと新宿駅の地下でホームレスをしていたとのこと。
そんな中、1952年17歳の時、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で、美少年募集の張り紙を発見。
応募してみると、見事合格したのです。
美輪明宏さんは「銀巴里」と専属契約を交わし、歌手デビューを果たしました。
そして、歌手としての才能を開花させ、次第に人気を博していくと、三島由紀夫さんを始め、吉行淳之介さん、寺山修司さんなどの文化人から絶大な支持を得るようになったのです。
「メケメケ」で大ブレイク
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歌手デビューを果たした美輪明宏さんは1957年、22歳の時にフランスのシャンソン『メケメケ』を日本語でカバーすると、瞬く間に大ヒット。
ユニセックスなファッションで『メケメケ』を歌い上げる美輪明宏さんの姿は、三島由紀夫さんに❝天上界の美❞と言わしめ、マスコミには❝神武以来の美少年❞評されたのです。
「ヨイトマケ」で再ブレイク
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しかし、『メケメケ』のブームは約1年ほど。
そのうえ、美輪明宏さんが同性愛者であったことや、美輪明宏さんが自ら和訳したシャンソンの生々しい内容に世間は反発したのです。
そんな逆境にも負けず、自ら作詞作曲を始めるのですが、世間から理解を得られないままでした。
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『メケメケ』ブームから約8年。
1965年、29歳の時に小学校の同級生と、その同級生の脚が不自由な日雇い労働者の母親をテーマにした『ヨイトマケの唄』を発表。
当初は、世間の評価は高くはありませんでしたが、信念を曲げずに歌い続けると、翌年の1966年、30歳の時に『ヨイトマケの唄』をワイドショーで披露したところたちまち、視聴者の支持を得て、再ブレイクを果たしました。
若い頃の活躍ぶり
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その後、美輪明宏さんは舞台にも参加するようになりました。
- 1967年 『毛皮のマリー』『青森県のせむし男』
- 1968年『黒蜥蜴』『双頭の鷲』『椿姫』
上記の舞台作品以外にも下記の作品にも出演。
- 1968年 映画『黒蜥蜴』
- 1969年 映画『黒薔薇の館』
- 1970年 テレビ時代劇『雪之丞変化』
『雪之丞変化』では主演を務めていたようです。
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それ以降、舞台やテレビ、映画の他に歌手や演出家、作家、人生相談など、様々な分野で才能を発揮するようになりました。
三島由紀夫との関係
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↑の写真は美輪明宏さんと作家として活躍していた故・三島由紀夫さんです。
美輪明宏さんが10代の頃に知り合ったと言われている二人。
それ以来、二人は会う度にお互い尊敬の念を抱くようになっていったと言います。
前述したように、美輪明宏さんは早くから、歌手としての才能を三島由紀夫さんに高く評価されており、三島由紀夫さんが脚本を書いた舞台『黒蜥蜴』では主演に抜擢されています。
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そんな二人は三島由紀夫さんが結婚した後も、美輪明宏さんが三島由紀夫さんの愛人ではないかと噂されていたようです。
しかし、美輪明宏さんはこれを完全否定。
三島由紀夫さんには「キミの唯一の欠点は俺に惚れないことだ」と言われたことがあったことを明かしています。
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さらに、愛人ではないことを証明するかのように、美輪明宏さんは赤木圭一郎さんという若手俳優と交際していることを明かしていました。
ただ、赤木圭一郎さんは映画の撮影現場の休憩中に不慮の事故で死亡。
赤木圭一郎さんの死後、美輪明宏さんは悲しみのあまり『愛の賛歌』を歌うことができずにいると、三島由紀夫さんが叱咤激励してくれたそうです。
美輪明宏さんにとって特別な存在であった三島由紀夫さんも、1970年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自〇。
まさに「壮絶」という言葉が似合う美輪明宏さんの生き様、いかがでしたでしょうか。
若い頃から美少年だった美輪明宏さんは、様々な困難や逆境を乗り越えて今があるのですね。
今後も美輪明宏さんさんの活躍を期待しています。