今回は、俳優の柳浩太郎さんについてご紹介します。
柳浩太郎さんについて
柳浩太郎さんは舞台で主に活躍する俳優さんで、現在31歳です。
2003年にデビューしました。それから2016年末まで、ワタナベエンターテインメイントという事務所に所属しました。
デビューのきっかけは、ジュノンのコンテストだったそうです。
2002年、SMAPの中居正広に憧れ、第15回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募するも14位で予選落ちする。
後日、「どんな奴が残ったのか見てやろう」と本選の様子を客席で見ていたところ、現在の所属事務所(ワタナベエンターテインメント)にスカウトされる。
客席で見ていたところをスカウトされるなんて凄いですよね。当時から、人をひきつける力を持っていたのでしょう。
その後、2003年4月、ミュージカル「テニスの王子様」の越前リョーマ役に抜擢され、一気にその名前が広がりました。
テニスの王子様のミュージカルは現在まで役者を変えながら続いているのですが、柳さんはその中で一番最初に越前リョーマを演じた方で、ファンの中では今も語られる存在です。
柳さんといえばリョーマ、という方も多いですよね。
また、ワタナベエンターテインメントの若手俳優集団・「D-BOYS」にも所属し、2012年9月までサブリーダーを務めました。D-BOYS経由で知った人も多いと思います。
事故に遭う
それは2003年12月14日のことでした。
テニスの王子様の稽古中、柳さんは交通事故に遭いました。
同年12月14日午後11時ごろ、舞台稽古からの帰宅途中に自宅付近で乗用車と接触して頭部を強打し、脳挫傷、およびクモ膜下出血により意識不明の重体となる。
両親が担当医より「死を覚悟してください」と言われるほどの危険な状態だったが、3週間後の翌年1月6日、奇跡的に意識を回復する。
右半身麻痺・記憶障害・高次脳機能障害・声帯損傷などの後遺症が残り、医者には「一生寝たきりかもしれない」と言われる。
一時期は死も覚悟しなければならない状態だったようです。一命をとりとめられたことが不幸中の幸いでしたが、その後柳さんはテニミュを降板し、リハビリに励みました。
テニミュに復帰、そして卒業
懸命なリハビリの結果、柳さんは2004年、テニミュに復帰します。
2004年12月、1年間のリハビリを経て『ミュージカル テニスの王子様 in winter 2004-2005 side 不動峰 〜special match〜 』で越前リョーマ役に復帰する。
しかし事故の後遺症により、高音が出せない、右半身麻痺のため舌がうまく動かせず台詞を流暢に喋れない、などの状態にあったため、この舞台と翌年5月の同ミュージカル『Dream Live 2nd』では同役を遠藤雄弥と場面交代で務めた。
2006年3月、『Dream Live 3rd』を最後に『ミュージカル テニスの王子様』を卒業した。
これからって時に仕事ができないなんて辛かったでしょうね。
施設に入っているのか?
現在も事故後に残った障害と闘っている柳さん。リハビリは病院やスポーツジムで行っているそうです。
今もどこかの施設には入っているのかもしれませんが、どこのどのような施設に入っているのか等、具体的な情報は掴めませんでした。
この画像は、柳さんの自伝エッセイ「障害役者~走れなくても、セリフを忘れても~」のものです。
この本は2010年に発売されて話題になり、なんと発売した次の日には重版が決まったそうです。
柳さんの、障害とひたむきに闘う姿勢が多くの人の心を動かしたんですね。
そして現在は…?
その後の柳さんについて見ていきましょう。
まず、2014年11月より、柳さんは俳優業を長期休養することを発表しました。
そして昨年、2016年12月に、本人の公式ブログと、所属していたD-BOYSの公式ブログの両方から、このような発表がありました。
2014年11月より、休業させていただいておりました柳浩太郎ですが、2016年12月20日をもちまして、D-BOYSを卒業するとともに、ワタナベエンターテインメントとの契約を終了することになりました。
この発表を受けて、ファンは騒然となりました。もう完全にやめてしまうのか、もう見られないのか…。と悲しみの声が続々と上がってきました。
また、D-BOYSからの卒業・事務所との契約終了と同時に、公式ブログの更新も停止したそうです。そして現在に至っています。
ですが、「契約終了」とはあるものの、「芸能界引退」という言葉はこの中にないので、もしかしたらまた復帰してくる可能性もあるかもしれません。
まずは体調第一ですが、またどこかで姿を見られたら良いですよね。