【ほぼ家にいなかった!?】吉岡秀隆と元嫁・内田有紀の離婚理由の真相。子供はいない! | 裏芸能人ニュース最新の噂

【ほぼ家にいなかった!?】吉岡秀隆と元嫁・内田有紀の離婚理由の真相。子供はいない!

吉岡秀隆さんの元奥さんは女優の内田有紀さんです。

二人の馴れ初め~結婚そして離婚に至るまでをまとめました。

吉岡秀隆の元嫁は内田有紀!

吉岡秀隆さんの元嫁さんは女優の内田有紀さんです。二人はどこでどのように出会い結婚し、ろして離婚してしまったのでしょうか。

 

馴れ初め

吉岡秀隆さんと内田有紀さんは、2002年にドラマ「北の国から2002遺言」で共演したのをきっかけにお付き合いを始めました。内田有紀さんが27歳、吉岡秀隆さんが32歳の時の結婚でした。

ドラマの中でも二人は結婚しており、リアルでも本当に結婚してしまったのです。

ドラマの撮影後半、ロケバスの中で腕を組んでいた、というラブラブエピソードもあるくらい、二人はラブラブだったんです。

お互いにどこに惚れたのか

吉岡秀隆さんは当時を振り返って、「役と自分たちが違うんだ、と話し合う中で、自然とこうなりました。『北の国から』を務めあげ、ほっとしているときに彼女が横にいたんです。」と語っています。

一方の内田有紀さんは吉岡秀隆さんのどこを好きになったのかについて「飾らず、気負わず、自然にいられることです」と答えていました。

 

結婚式

2002年12月7日にドラマ「北の国から2002遺言」の舞台である富良野市の富良野プリンスホテルで挙式を上げています。

ただし、ドラマの舞台だからこのホテルでの挙式を選んだのではなく、「雪の中でウエディングドレスが着たい」という内田有紀さんの希望を叶えるためにこのホテルが選ばれたのです。

実は、富良野プリンスホテルは冬は閉鎖するんですよね。その時期を貸し切りで借りて、挙式をしたのでした。披露宴は、50人ほどの小規模で行われました。

 

結婚生活

内田有紀さんは、専業主婦という形で2002年11月28日に芸能界を引退されています。2これは、吉岡秀隆さんから、内田有紀さんに「専業主婦になってほしい」と希望を出して、内田有紀さんがこれを承諾したからです。

2人の間にはお子さんは設けていませんが、順風満帆な夫婦生活が3年ほど続きました。

吉岡秀隆と元嫁・内田有紀が離婚!

2005年12月21日に2人は離婚することになりました。結婚生活はわずか3年でピリオドを打ちました。

内田さんが30歳、吉岡さんが35歳の時でした。

 

離婚理由

離婚理由の公式発表は、「すれ違い」によるもの。

内田有紀さんが家にいる孤独に耐えられなかった。と言われています。

 

内田有紀さんが家にいる孤独に耐えられなかった。ってどういうこと?

内田さんは芸能界を引退された後は専業主婦として過ごしてきたわけですが、吉岡さんがドラマ・映画の撮影で家を空けることが多く、寂しさを感じていたものと思われます。

当時、吉岡さんは、大人気シリーズのドラマ「Dr.コトー診療所」の撮影で家を空けることが多かったんですよね。

  • Dr.コトー診療所:2003年7月~9月
  • Dr.コトー診療所特別編:2004年1月
  • Dr.コトー診療所2004:2004年11月
  • Dr.コトー診療所2006:2004年11月

Dr.コトー診療所はこのようなスケジュールで放送されているんです。しかも、ロケ地は東京からは遠く離れた沖縄の与那国島。

結婚された2002年12月7日から離婚した2005年12月21日までほとんど二人が一緒にいる時間がなかったと推測できます。二人の間には子供がいませんから、仕事も辞めて家で一人・・・。そんな生活に限界を迎えたのでしょう。

しかし3年間の月日を内田有紀さんは耐えたわけですよね。

その背景には「二兎を追う者は一兎をも得ずという体育会系気質が私の中にあったので、家庭にきちんと入らないといけないと思っていた」と内田有紀さんは話しており、専業主婦としてその役割を全うしようとしたんだろうと思います。

ですが、それは叶いませんでした。

一方の吉岡秀隆さんとしてはドラマの撮影等で多忙な時期だったわけですが、妻を引退させたこともあり、仕事を増やしていたのかもしれません。

このあたりで心がすれ違い、ついに内田有紀さんは置手紙をして、家を出ていってしまったようです。

離婚後、内田さんは「自分の居場所を見つけるため」ということで離婚後、芸能界に復帰しました。

 

この「自分の居場所を見つけるため」と考えたのは内田有紀さんの生い立ちに影響していると思われます。

東京都内でも有名な一等地の広尾にある裕福な家庭に生まれた内田有紀さんでしたが両親は不仲で喧嘩は日常茶飯事。幼少期から、両親の大きな声に怯えながらの生活でした。

結果、両親は内田有紀さんが7歳の時に離婚し、内田有紀さんは父親に引き取られます。

父親はその後、再婚。しかし再婚相手は赤の他人。内田有紀さんは新しい生活環境になじめず、母親の所へ引っ越したものの、母親もまた再婚。ここでも居心地が悪く耐えられなくなった内田有紀さんは、祖父母の家に住むことになりました。

こうして中学時代を祖父母の家で過ごした内田有紀さんは13歳からアルバイトでモデルの仕事を開始。そして高校に進学すると芸能活動に専念するため、一人暮らしを始めるのでした。

さすがに自立していますね!

このような生い立ちですので、内田有紀さんにとって自分が心休める居場所というのは非常に大切なものなはず。なのにも関わらず、結婚したのに家では一人。そんな生活に耐えきれなくなったのでしょう。

 

吉岡秀隆と元嫁・内田有紀に子供ができなかった理由

↑で見た通り、そもそも吉岡秀隆さんが自宅にいなかったため、そりゃあ子供ができるわけがないよな。と。内田有紀さんは子供について結婚当初、「今は主婦業に専念して。(子供は)ゆっくりと時間をかけながら…」と語っていたことから、願望それ自体はあることがわかっています。

吉岡秀隆が再婚する可能性は低い?

吉岡秀隆さんは内田有紀さんと離婚後、現在まで再婚しておらず独身です。そして、今後も再婚はしないのではないか。と思われます。

その理由については、以下の記事で書いていますので是非ご覧ください。

【もう結婚はいいや】吉岡秀隆に再婚相手が現れる確率はほぼ0%と言える理由!

吉岡秀隆の元嫁・内田有紀の離婚後の恋愛事情

内田有紀さんは1995年にCMで共演し、2001年のドラマ「ビッグウイング」で再会した、柏原崇さんと、友人関係が続いていたそうです。2009年末、内田有紀さんが34歳、柏原崇さんが32歳の時から交際がスタートしました。

現在も彼氏彼女関係と思われます。

柏原崇さんは2014年の映画出演を最後に俳優としての活動はしておらず、映像クリエーターとして仕事をしています。現在は映像クリエーターと内田有紀さんのマネージャーを兼務しており、公私ともに内田有紀さんを支えています。

柏原崇さんは実は内田有紀さんとバツイチ。

2004年にタレントで女優の畑野ひろ子さんと、入籍されていました。2000年公開の「恋の神様」共演が二人の馴れ初めでした。しかし、わずか1年8か月で離婚してしまいます。

お互いにバツイチなところで分かり合えるところが、柏原崇さんと内田有紀さんにはあるのでしょう。

 

内田有紀は柏原崇と結婚しないのではなくできない?

さて、10年以上もお付き合いをしている内田有紀さんと柏原崇さん。二人は入籍しないのでしょうか。

この件について、内田有紀さんは『形を持つことには、あまり意味を感じなくなってきた』と発言しています。

その他に結婚できない理由として、所属事務所の問題があります。

柏原崇さんの元奥さんえある畑野ひろ子さんの所属事務所は、芸能界で大きな力を持つバーニング系列の事務所なんです。柏原崇さんは畑野ひろ子さんと結婚する際、事務所の反対を押し切って結婚したことから、仕事を干されたという噂もあるくらい。。

そりゃあ事務所の人間が結婚したら、タレントイメージが崩れてスポンサー離れだったり、収入に影響しますからね。。

それに加えて現在、内田有紀さんは大元のバーニングに所属しているため、二人の結婚はなかなか認められないのではないかと思われます。例えば同棲を続けて、事実婚状態になるのではないでしょうか。

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