【裏切りゆえの貧困生活】山口百恵は父親・久保茂と愛人の娘だった!医者なのに金銭援助なし。。 | 裏芸能人ニュース最新の噂

【裏切りゆえの貧困生活】山口百恵は父親・久保茂と愛人の娘だった!医者なのに金銭援助なし。。

今回の記事では昭和の伝説のスター・山口百恵さんの生い立ちと驚愕の父親について、ご紹介します。

山口百恵の生い立ち

山口山口百恵さんは言わずと知れた、昭和の伝説の歌姫です。「プレイバック」「いい日旅立ち」「秋桜」などなど、数々の名曲が生まれました。

ですが人気も絶頂だった頃に突然引退宣言をし、その潔い去り方も美しいと今も語り継がれる存在です。そんな山口百恵さんですが、実は壮絶な生い立ちの持ち主なんです。

なぜ、山口山口百恵さんの生い立ちが明るみになったのかと言いますと、芸能界引退前の1980年9月に刊行された自叙伝「蒼い時」にて山口山口百恵さん自ら告白したからなんです。この著書は発売わずか1ヶ月で100万部を売り上げ、その年の12月には200万部を突破する大ベストセラーになりました。

当時爆発的人気を誇った国民アイドルの本かつ当時はまだインターネットがなくテレビが国民の趣味でしたから、ものすごい注目度だったのでしょう。

 

母子家庭で育つ

山口山口百恵さんは母親と妹との3人暮らしの母子家庭で育ちました。

父親について尋ねられた時には「居ない」:とは応えていた山口山口百恵さん。しかし、死別したわけでも離婚したわけでもありません。後述しますが、そこには複雑な事情がありました。

母子家庭ということで生活は非常に困窮を極めました。山口山口百恵さんも家計の助けになる為に小学生から新聞配達のアルバイトをしたり、生活保護を受けながら生活を送っていました。

ちなみに母親の名前は「山口正子」さん。5歳下の妹は「山口淑恵(やまぐちよしえ)」さんであることがわかっています。ちなみに母親の山口正子さんは1989年に51歳という若さで亡くなっています。山口百恵さんが30歳の時でした。

苦労しているのにも関わらず短命とは切なすぎます。。死因は不明です。葬儀は母親が創価学会員であったことから、学会葬で行われました。

山口百恵さんが引退後、母親である山口正子さんは妹の山口淑恵さんと共に山口百恵さん夫妻の自宅近くにあるマンションで暮らしていたんだとか。

山口百恵の父親は在日韓国人?

山口百恵さんは1959年に東京都の渋谷区に生まれました。名前は久保茂さん。当時の職業は医者だったようです。山口正子さんは看護師でしたので、病院・クリニックで出会ったようですね。

そして、衝撃なのが山口百恵さんの母は父の愛人だったんです。ということは、お父さんには本妻がまた別にいて、山口百恵さんは不倫相手の子どもだった、ということなんですね。本妻と本妻の子供と同居しており、1週間に一度日曜日に、山口百恵さんの家を訪れるという生活を送っていたそうです。

一応、山口百恵さんには欲しいものを何でも買ってくれたようですね。職業・医者ですから、お金には余裕があったのでしょう。

その他の山口百恵さんの記憶には、散歩をしていると視線の鋭い「怖いおばさん」が母親と一緒にいる時に襲ってくるという光景を目にしていたそう。恐ろしすぎます。。これは、父親の本妻にあたる女性が山口正子さんと山口百恵さんに対して行った逆恨みと見るのが自然でしょう。

また、山口百恵さんの父親が在日韓国人あるいは在日朝鮮人であるという噂がネット上で広がっているようですが、これはガセだそうです。父親がそういうふうに噂されてしまった原因として、山口百恵さんが幼少期に横須賀に住んでいたことがあるようです。

横須賀の鶴が丘の近くに不入斗という町がコリアンタウンと呼ばれ、県営住宅の住民に朝鮮系の方が多く鶴が丘団地にも朝鮮出身の方が多くいたためにそのような書き込みが増えたのです。父親が朝鮮に仕事で頻繁にいっていたのでどこかの雑誌が山口百恵の父親は朝鮮系の人間のような報道がされました。

しかし実際には、母にも父にも朝鮮系、韓国系の血筋はないので、山口百恵さんは「純日本人」ということになります。た、父が在日の方の施設(老人ホーム)にいる、という噂もありましたが、こちらも「ガセ」です。

ちなみに、山口百恵さんの妹さんの父親も、この久保茂さんです。

 

父親との確執

山口百恵さんは自叙伝「蒼い時」の中で、「私に父親はいない」と語っています。

医者であれば収入は悪くないはずですが、自分で不倫して子どもを作っておきながら、経済的援助はしなかったんですよね。久保茂さんは山口正子さんとの間に子供が出来た時に彼女の両親に「責任をもってきちんとします。」と挨拶したのですが、実際には本妻とは離婚せず、子供の認知だけして、経済的援助もいっさいしなかったようです。。

山口百恵さんの自叙伝によると、父親は毎週日曜日しか顔を出さなかったとか。

さらに、山口百恵さんが歌手デビューして有名になり、稼ぎも出てきたとたん、掌を返すように親権を母親から奪おうとして裁判沙汰になったり、山口百恵さんのギャラをむしり取ったりしたようです。

最終的には、山口百恵さんは手切れ金を渡して父親と縁を切ったそう。

ちなみに父親の久保茂の晩年は東京都内の老人ホームで余生を過ごしていたようですが、引退時に娘である山口百恵さんから縁を切られた事に対して、ずっと怒っていたと言いますから、開いた口が塞がらないとはこの事だな。と。。

山口百恵が自身を「愛人の子供」と知るまでの経緯

山口百恵さんの戸籍謄本が週刊誌に掲載されて、その記事を見た事で自分が父親との非嫡出子であることを知ったといいますから、驚きです。メディアを通じて知るなんて自分の存在はいったい何なんだ。と絶望しますよね。

ここでお気づきかもしれませんが、山口百恵さんが非嫡出子であることを知っているのはわずかな人間しかいませんよね。そうです。この週刊誌にネタを売り込んだのは山口百恵さんの父親です。

それを皮切りに山口正子さんから2人の娘の養育権を取り戻そうとしたり、所属事務所のホリプロに借金をしたりと山口百恵さんを精神的に苦しめることになるのです。

 

山口百恵が歌手を志したのは家のため

結果として、山口百恵さんは「昭和の歌姫」と称されるほどの存在になったわけですが、もともと歌手を志したきっかけも、「家のため」だったそう。

山口百恵さんには5歳年下の妹(淑子さん)もおり、母子家庭+生活保護での3人の生活は貧しいものでした。生活が苦しかったので、歌手になればたくさんお金が入って家計を助けられる、だから歌手になろうと思ったそうです。

 

山口百恵の家族

山口百恵さんは1980年、三浦友和さんと結婚しました。現在もその結婚生活は続いており、「おしどり夫婦」として知られています。

2人の交際は、思いがけないところで世間に知れ渡りました。

1979年10月、大阪でのリサイタルにて山口百恵さんが「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、交際していることを突然宣言したそうです。

その後、三浦友和さん自身も記者会見にて、結婚を前提に交際していることを発表しました。

そして、1980年3月には婚約発表と同時に芸能界引退を宣言し、引退後は表舞台に姿を現すことは一切なくなりました。

歌手デビューしたのも、もともとは「家のため」という目的があったので、それを達成した山口百恵さんは、今度は自分が幸せな家庭を築くために潔く身を引いたのでしょう。

きっと芸能界での栄光とか、そういうものには興味がなかったのだと思われます。また、母の急死をきっかけに、自分の家族との時間をさらに優先するようになったとしてもなんら不思議ではありません。

三浦友和さんと山口百恵さんの間には、2人の息子さんがいます。

子供は息子が2人

長男・三浦祐太朗

長男の三浦祐太朗さんは、シンガーソングライターとして活躍しています。“今世紀最大の二世タレント”として大々的に報道され、実際に母親譲りの歌唱力の持ち主です。

しかし、デビューするも泣かず飛ばず。

祐太朗は中学時代の同級生を中心に結成したバンド『Peaky SALT』のボーカル・ユウとしてメジャーデビュー。

しかしCDは思うように売れず、2010年には音楽会社・バップとの契約が切れて、一部メンバーが脱退。同年9月には残ったメンバーとも方向性の違いを理由に、活動休止を発表した。

活動休止後は俳優の道に進んだりもしたようですが、それもあまりうまくいかなかったようです。また、バンドを組んでいた時、山口百恵さんの名前にすがろうとして失敗したこともあったとか。

バンドメンバーと仲違いした原因は、他のメンバーが『もっと売れるために祐太朗のお母さんに協力してもらおう』と、CDの推薦文やライブの告知を、山口百恵さんにお願いしたそうです。

当の祐太朗も『それいいかも』と適当にOKを出してしまい、山口百恵さんにお願いしたところ『あなた達ががんばることでしょう!』とピシャリ。安易に三浦家の威光にすがろうとしたことで、ケンカになってしまったんです。

確かに、そこは「それいいかも」ではなく、「俺たちだけで頑張ろうよ」と言うべきところでしたね。そして、それをきちんと叱れる山口百恵さんはやはり良いお母さんだなと思います。

 

次男・三浦貴大

次男の三浦貴大さんは、俳優です。

大学時代は精神保健福祉士を目指していたが、社会には様々なタイプの人間が存在することを知って、俳優になることを決める。

大学卒業間際、父・三浦友和にそのことを報告すると、反対は一切なく、知り合いの『ALWAYS 三丁目の夕日』の阿部プロデューサーに相談してくれ、デビュー作が決まった(映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』)

同作での演技が評価され、第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画賞新人賞を受賞する。

兄の祐太郎さんとは違い、両親の名前にすがることもなく、テレビや映画への出演も増え、俳優として地道に成長を続けています。

ですが、兄弟は仲が良いようで、一緒に飲みに行ったり、誕生日にはプレゼントをあげたりしているようです。山口百恵さんは、自分の生い立ちには恵まれなかった分、幸せな家庭を築くのに成功したんですね。

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