今回は高橋一生の生い立ちや、家族についてまとめていきます。
目次
俳優・高橋一生の壮絶な生い立ちが複雑と話題
俳優の高橋一生の生い立ちが複雑で壮絶だという噂が話題になっています。
複雑で壮絶とは一体どのような生い立ちだったのでしょうか?
それについて調べてみたところ・・・
俳優の高橋一生さん。
子役の頃から数々のドラマや映画に出演し、「民王」や「カルテット」の好演が評判となり人気俳優の仲間入りを果たしました。
最近ではバラエティ番組にも積極的に出演し自身の半生や生い立ちを語ることも多いですが、その生い立ちが非常に壮絶で複雑だと話題になっています。
高橋一生さんは5人兄弟なのですが、なんでも異父兄弟で父親が3人もいたのだとか。。
さらに詳しく調べると高橋一生さんの父親は有名人という説や、実父が北海道の北見にいる?なんて噂も。。。
だそうで、高橋一生さんの複雑で壮絶な生い立ちは、テレビで度々語られていたそうですね。
異父兄弟で父親が3人いたりだとか、もうその部分を聞いただけでも複雑そうな匂いがプンプンします。
さらに父親が有名人との噂まで・・・!?
ということで、これから高橋一生さんの生い立ちを見ていきましょう。
実家は赤坂だった?
高橋一生さんの実家は赤坂だったという噂がありますが、実際はどうなのでしょうか?
それについて調べたところ・・・
2017年2月17日にTBSで放送された安住紳一郎さん司会の「ぴったんこカン・カン」で、ドラマ「カルテット」や「おんな城主 直虎」に出演中の高橋一生さんがゲスト出演しました。
東京生まれで赤坂に実家があったと言う高橋さんが、実家周辺を安住アナウンサーとぶらぶらしながら子供時代の思い出を語りました。
安住アナウンサーと高橋さんの二人は、高橋さんが昔住んでいた赤坂の実家のあったマンションの近くまで行き、あれが昔住んでいたマンションだと、高橋さんが安住アナウンサーに紹介します。
実家のマンションの近くには高橋さんが通っていた小学校があり、全校生徒が56人しかいなかった小学校時代の話しをします。
最終的には1クラスに3人しかいなくなったようですね。
遊び場は赤坂御所で遊んでいたのですが、同級生に親が赤坂御所務めの子供がいて、顔パスで中に入って遊ぶことができたと当時を振り返っています。
だそうで、高橋さんの実家が赤坂にあったことはすでにテレビで放映されており、間違いないそうですね。
ちなみに赤坂は、東京都港区にある地区です。
父親は3人。5人の異父兄弟として生まれる
高橋一生さんの父親が3人、異父兄弟が5人いることは最初にご紹介しましたが、どのような事情があってそのようになったのでしょうか?
それについて調べてみたところ・・・
そんな高橋一生さんですが、その生い立ちがなかなか壮絶だったと言われています。
高橋さんは5人兄弟の長男。
高橋さんのお父さんは、彼が幼稚園のときに亡くなったそうです。
母親はその後再婚し3回の結婚歴があり、それぞれ子供が生まれています。
実父を早くに亡くした高橋さんは、2人の継父と実母との間に生まれた“4人兄弟の父親代わり”として奔走してきたそうです。
さらに母も死去。
母が他界してからは、それまで以上に“一家の大黒柱”としての思いが強くなっていったと言います。
とのことで、「高橋さんの最初の父親が亡くなった後、実母が2回の再婚をし、高橋さんの後に父親違いの兄弟が4人生まれた」ということだそうです。
しかもついには、高橋さんの母親まで他界したなんて…
壮絶すぎるにもほどがあるということでしょう。
よく乗り越えてこられましたね。
ご立派です。
父親は誰?有名人(俳優)という噂も
そんな壮絶な生い立ちがある高橋さんの父親が、まさかの有名人(しかも俳優)?との噂が話題になっているそうです。
ということで、高橋さんの父親について調べてみたところ…
高橋一生さんの父親が3人いたことは前述しましたが、ネット上では「高橋一生さんの父親は実は有名人だった」という噂が流れているようです。
一部では俳優か脚本家という情報も。
これについて調べてみましたが、高橋一生さんの父親が有名人であるという確実な情報は見つかりませんでした。
この噂が流れた理由としては、高橋一生さんの実家が東京都の赤坂だったため(赤坂は都内でも指折りの超高級住宅街)、お金持ち = 有名人という発想になったことと、高橋一生さんが子役の頃から活躍しているので、二世俳優なのでは?という憶測が広まったことが噂の理由のようです。
とはいえ実際は高橋一生さんの実家が赤坂だったのは幼少期の話ですし、子役になるきっかけは祖母のススメだったとバラエティ番組で話していました。
また高橋一生さんの母親が子役をやっていたらしいので、その流れで父親も俳優なのでは?と勘違いした方が多かったのかもしれません。
実際には高橋一生さんの父親は、一般の方だった可能性が高いですね。
とのことで、高橋さんの父親が有名人(俳優)だという噂はデマである可能性が高いそうです。
父親3人は全員他界
高橋一生さんの今までの父親3人が全員他界しているという噂があるそうですが、これは一体どういうことなのでしょうか?
それについて調べてみたところ・・・
高橋一生さんは5人兄弟ですが、異父兄弟。父親が3人という複雑な家庭環境に育ちました。
どういう別れ方だったのか、三男・安部勇磨さんはこう語っています。
うちは親父が3人いるんですね。長男の親父。次男と俺の親父。
あと、四男と五男の親父ですね。
でも、いちばん最初の親父以外はみんな死んじゃっていて。
高橋一生さんの実父だけが死別ではない、ということでしょうか。
だけど、高橋一生さん幼稚園生だったころに実父が亡くなっているという情報もあるんです。
どっちなんだろう。
いずれにせよ、2番目・3番目の父親は亡くなっています。
2015年夏には母親も他界しているので、高橋一生さんは30代半ばにして3度も親を見送ったということか。
とのことで、高橋一生さんの2番目、3番目の父親が亡くなっていて、父親全員は死んでいないということだそうです。
さっき私も「1番目の父親が他界している」という情報を引っ張ってきましたが、まさかの最初の父親は死んでいないという情報・・・。
一体どちらが正解なのでしょうか?
高橋さんの生い立ちに関する謎を解くには、まだまだ調べないといけないみたいですね。
では、次にいってみましょう。
高橋一生の兄弟について
高橋一生の兄弟についてご紹介していきましょう。
高橋一生さん、なんと、今どき珍しい、5人兄弟の長男だそうで!
と思ったら、ちょっと複雑な家庭環境で、5人兄弟の母親は同じでも、父親は3人なのだそうです。
とのことです。
そうですね、高橋さんの家庭環境はこの上なく複雑といって良いでしょう。
高橋一生は一人目の父親の子供
高橋一生さんは1番目の父親の子で間違いないようです。
高橋一生さんは5人兄弟の長男で、下には4人の弟がいます。
高橋さんだけが1人目の父親の子供です。
だそうです。
次男と三男は二人目の父親
高橋一生さんの次男と三男は2人目の父親の子供だそうです。
2人目の父親の元で次男と三男が生まれました。
ちなみに三男はミュージシャンとして活躍されているそうですよ。
四男と五男は三人目の父親【未成年】
高橋さんの四男と五男は三人目の父親の子供で、未成年との噂があります。
3人目の父親の元で四男と五男が生まれたと。
四男と五男に至っては、まだ未成年で、四男が20歳、五男が18歳なんだそうですよ!
高橋一生さんが37歳になったばかりなので、末っ子の弟くんとは19歳違い^^
お母さん、少子化の日本で、5人もの男子をよくぞ産んでくれました!
同じ母親として、素直に尊敬です、まじで。
だそうで、四男と五男は噂どおり、3人目の父親の子供で、まだ未成年というのは間違いないみたいですね。
一番下の弟は、高橋さんと19才違いだなんて、親子であってもおかしくはない年齢差です。
生命が誕生することは喜ばしいことであり、高橋さんの母親はお腹を痛めて頑張って5人を産まれたことは理解できるのですが、いくら少子化とはいえ、高橋さんのような生い立ちを見ていると、ただひたすら産めば良いっていうわけでもないのではないでしょうか。
もちろん授かれば産むのが自然な流れであり、中絶を勧めているわけではなく、妊娠する前の行動と、産んだ後の行動について疑問を投げかけている、ということです。
私は虐待のニュースを見ていても、同様のように感じています。
三男・安部勇磨はバンド『Never young beach(ネバヤン)』の歌手
そんな高橋一生さんの三男である安部勇磨さんは、バンド『Never young beach(ネバヤン)』として音楽界で活躍しているとの噂が話題になっています。
それについて調べてみたところ・・・
高橋一生の兄弟で芸能界にデビューしているのが、三男です。
「never young beach」と言う5人組のバンドのボーカルとギターを担当しています。
高橋一生とは10歳ほど歳が離れており、現在28歳になる年齢です。
高橋一生と安部勇磨の苗字が違うので、高橋一生は旧姓を使用しているものか、もしくは芸名を使用しているのではと推測されます。
だそうで、高橋さんの三男がNever young beach(ネバヤン)というバントのボーカルをしていることは事実だそうですね。
ちなみにネバヤンの活動についてはこちらをご覧ください。
「never young beach」の活躍ぶりを簡単にご紹介しますと、2015年に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」をリリースし、2015年上半期の「CDショップ大賞」にノミネート。
そのレトロで心地いいサウンドとストレートな歌詞にファンは増え続け、2ヶ月先のライブチケットはソールドアウトするほどの人気ぶりとなっています。
だそうで、ネバヤンは現在人気バンドとして活躍しているそうです。
某動画サイトにネバヤンのミュージックビデオがアップされているので、興味がある方はぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。
とても素敵な歌声でしたよ♪
弟の顔が別人すぎると話題【画像】
三男である安部勇磨さんの顔が、高橋一生さんと別人だと話題になっているそうです。
安部勇磨さんの画像を集めてきたのでさっそくご覧ください。
いかがでしょうか?
これはこれは・・・全然似ていませんね。
だって、父親違いの子供だもん!
ってことなのでしょう。
私はこれ以上のコメントは控えさせていただきます・・・(察してください(笑))。
五男は寿司職人
高橋一生さんの五男は寿司職人との噂があるので、実際はどうなのか調べてみたところ…
四男と五男は一緒に住んでいるのだそうですが、四男のご飯は五男が作っているのだそうです!
料理好きでそちらの道に進みたい五男くんは、一生さんの紹介で、18歳にして、なにやらスゴイちゃんとしたお寿司屋さんで、寿司職人の見習いをしているそうで。
だそうで、五男は18才にして寿司職人の見習いをされているみたいですね。
「なにやらスゴイちゃんとしたお寿司屋さん」というのが、一体どのようなお寿司屋さんなのかは不明ですが(笑)、回るお寿司屋さんではないお寿司屋さんということなのでしょうか。
高橋さんの弟さん達がキチンと自身の決めた道に進んでいるのは、高橋さんの背中を見ているからなのかもしれませんね。
母親は元ホステスや女優(子役)という噂について
高橋さんの母親に、元ホステスや女優(子役)をやっていたという噂が話題になっています。
これについて調べてみたところ・・・
高橋一生さんが「A-Studio」で語ったことから判明したことですが、実は高橋一生さんのお母さんも幼少期に子役としてテレビ出演の経験があるとのこと。
このことから高橋一生さんの母親は元女優との噂が浮上しました。
ただし、母親が出演した番組名や当時の芸名など、詳しい情報は全く上がってきていませんので、どうやら子役として短い期間で芸能活動を終えているようですね。
だそうで、高橋さんの母親に子役の経験があったことは事実だそうです。
次に、ホステスをしていたという噂についてはどうなのでしょうか?
それについても調べてみたところ…
こちらも「A-Studio」出演時に高橋一生さんが「お母さんには少なくとも3回の結婚歴がある」とコメントしたことで浮上した噂です。
高橋一生さんは男ばかり5人の兄弟の長男。
現在でも兄弟の仲はとても良いとのことですが、それぞれお父さんが違うのだそうです。
このことから、母親は
- 水商売をしていたのでは?
- 銀座あたりのホステス?
などと、推測され噂が出回ったようですね。
ただ複数回結婚しているから水商売、とは短絡的な決めつけというもの。
結婚した相手との間にその都度子どもができるのは、ちっともおかしくありません。
また、高橋一生さんのお母さんが妊娠に向いた体質で、授かったら生んで育てる方針の女性だということは確かです。
むしろ銀座のホステスさんなら、こんなに次々子どもを産んだり何度も結婚したりはしないでしょう。
結婚・離婚の合間にはシングルマザーだった時期ももちろんあるわけで、高橋一生さんの母親もいろいろ大変な苦労を重ねていただろうことが推測できますね。
さて、高橋一生さんの母親について噂にあがっていることをご紹介しましたが、実際には何をしていた人なのでしょうか?
一部の情報では自分で複数の事業を起こすバリバリのビジネスウーマンだったとされています。
2度目の結婚をしていた時期が経済的にいちばん安定していて、当時は赤坂の高級マンション住まいだったそう。
小学生だった高橋一生さんは皇太子のお住いである『東宮御所』に勤務している人の子どもたちと遊んでいたといいます。
だそうで、高橋さんの母親がホステスというのはただの噂だったそうですね。
実際は事業を起こすビジネスウーマンとの噂です。
高橋一生の母親は超毒親だった
そんな高橋さんの母親に「超毒親だった」という噂があります。
それについて調べてみたところ・・・
a-studioに出演したとき、母親について語った言葉に、あぁと思いました。
鶴瓶「小さいときに”あんた、たいした顔してないんだから近所のにいちゃんの役したらいいのよ”ってよく言われてたんやろ」
高橋「よく言われました。言われてました。”となりのあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか”みたいな「あんたなんか」・・・ね。
否定型の毒親の典型じゃないか、これ。
お金とかそれだけじゃなくて、言葉の暴力をも受けてきたんだね。
だそうで、高橋さんは子供の頃に「自身の存在を母親に否定されていた」そうです。
ちなみに毒親の基準については、こちらをご覧をください。
毒親って聞いたことありますか?
なんだかおどろおどろしい言葉ですが・・・
コトバンクによると、毒親とは・・・
「子どもを自分の支配下に置き、その人生に有害な影響を与える親を指す俗語。
米国の精神医学者スーザン・フォワードによる書籍『毒になる親』から派生した造語で、同書の邦訳版が1999年に出版されて以降、広く知られるようになった。
子どもへの暴力的・性的な虐待や育児放棄だけでなく、精神的な虐待や過度な干渉も毒親の特徴とされる。
毒親による歪んだ親子関係は子どもに深刻な心的外傷を与え、その影響で成人後も対人関係に問題を抱えたり、依存症に陥ったりして苦しむケースも少なくない。」
実は知らないだけで、毒親に育てられて苦しんでいる大人たちが今の社会にはたくさんいるのです。
親の育て方が子どもに影響を与えることは、誰でも多少なりともわかっていることだとは思いますが、実際にはその影響は、考えているよりずっとずっと大きいのです。
私の会社、プレシャス・マミーの講座(子育てコーチング)では、親の言葉がけが子どもの人生を決めている、と説明しています。
そのくらい、親の子どもへの接し方、言葉のかけ方には強い力があるのに、それを知って育てている人はまだまだほんの一握りです。
ですから、暴力的・性的な虐待や育児放棄の場合は別として、自らが毒親であることに気づいている親も、毒親に育てられたと自覚している人も、おそらくほんの一握りでしょう。
とのこと。
これを読む限り、高橋さんの母親は毒親だということがわかりますよね。
しかし、高橋さんの母親の毒親っぷりは、これだけではなかったのです・・・。
超毒親の理由①金遣いが荒く借金を重ねていた
それでは、高橋さんの母親の毒親っぷりを今から紹介していきます。
まずは「金遣いが荒くて借金を重ねていた」ことについて。
母はとにかく金遣いが荒く、すぐに金を使い切ってしまう。
すると、父親や知人に金を借りて回っていたそうです。
高橋一生さんは父親にほとんど会うことがなかったそうですが、定期的に母に「金を貰ってこい」と言われ、父を訪ねていたそう。
さらに、金が無いということで、高橋一生さんの同級生の金持ちの親に「金を借りてこい」と強要したそう。
高橋一生さんは仕方なく借りに行き、嫌な思いをしていたそうです。
一言で表現するなら「最低!!!」ですね。
金遣いが荒くて借金をするだけではなく、子供にお金を借りさせにいくというこの発想・・・。
専門機関に診てもらいに行けば、母親に何らかの病名がつきそうですね。
超毒親の理由②子供の私物を勝手に売りに出す
高橋さんの母親の毒親っぷり②は「子供の私物を勝手に売り出す」です。
母親は引っ越しを繰り返し、しかも金が無いのに世田谷に住み続けていたそうです。
さらに、金が無いと子供の持ち物を勝手に売り、金を作っていたという始末。
ここまでくるとどうしようもない母親ですね。
ある時、母親はいつものように金がなくなり、困った挙げ句に高橋一生さんの自動車を勝手に売り払いました。
それに激怒した高橋一生さんは、ついに家出を決心し、母とは音信不通になります。
後に母と再会するのですが、それは母が病気になり危篤状態になった時でした。
母親の蛮行を考えれば、それも当然の話ですよね。
言葉を失うぐらい酷いですよね。
高橋さんが母親と音信不通になることは当然の行動です。
むしろ、それまでよく耐えられましたね。
超毒親の理由③母親は事業に失敗して破産
高橋さんの毒親っぷり③は「母親は事業に失敗して破産」です。
高橋一生さんのお母さんは、いくつもの事業を起こしては、うまくいかずまた新しい会社をつくる、といったことをくり返していたようです。
ただ小さな事業を展開していると、そういった自転車操業的な経営になるケースが一般的。
結婚・離婚・再婚を繰り返していた背景に、お金の問題があったとはいえるかもしれませんが、夜逃げするような事態にまでなれば、その家族にも追及の手は伸びてきますよね。
大ブレイクこそしていなかったものの、10年以上コンスタントに俳優として活動していた高橋一生さんも、その場合は無関係ではいられなかったでしょう。
もし夜逃げが事実なら、スキャンダルを防ぐため借金の肩代わりをしたでしょうし、またそれで清算がすんだならそれ以上お母さんが夜逃げする必要もないわけです。
トーク番組で「借金を押し付けられた」的な発言もないことから、夜逃げや破産、裁判沙汰といったことは実際にはなかったと言っていいでしょう。
だそうで、高橋さんの母親が事業に失敗して破産という噂は、ガセである可能性が高いということだそうです。
子供にお金の無心をさせるような母親なので、破産していても不思議ではありませんが、ガセ情報だとする意見が多いみたいですね。
これに関しては真偽がハッキリとしなくてモヤッとしますが、破産に関して現在公開されている情報はここまでということでしょう。
母親とは10年間絶縁状態だった
高橋さんは母親と10年間絶縁状態だったと語っているそうです。
それについて調べてみたところ・・・
高橋一生さんのお母さんは2015年に癌で亡くなっています。
高橋一生さんは折り合いの悪さから母親とは10年近く会っておらず、弟さんから母親が癌であることを知らされたときも1度は面会を断ったそうです。
会ってしまうとまたケンカしまうから、会うなら母が弱ってから。それなら怒りも出てこないだろうからと思っていたのだとか。
だそうで、高橋さんが母親と10年近く会っていなかったのは、事実みたいですね。
高橋さんの今までの生い立ちを読む限り、当然の結果といえるかもしれません。
再開した時母親は危篤状態
いくら毒親といっても、一応は母親・・・。
高橋さんが母親と再会を決めた時は、母親はすでに危篤状態だったそうです。
しかし弟さんからお母さんの命がもう長くないことを知らされ、高橋一生さんは10年ぶりにお母さんとの再会を果たしました。
だそうで、高橋さんが母親と再会を果たした時、どのような心境だったのでしょうか・・・。
まず、再会するまでに、様々な気持ちの葛藤があったことでしょう。
母親の最期の言葉「ごめんね、今まで」
そんな高橋さんの母親は、最後に高橋さんとこのような言葉のやりとりをされたそうです。
余命いくばくもない病床のお母さんから「ごめんね、今まで」と謝罪を受けた高橋一生さん。
これに対して「弟たちのことは自分が責任を持つから安心するように」と母親を気遣う返答をしたとのこと。
完全な和解とまではいかなくても、それなりの気持ちのけじめを、高橋一生さんも母親ももすることができたということですね。
その後、一週間して母親は亡くなってしまいましたが、高橋一生さんは最後を看取ることができたそうです。
だそうで、高橋さんは最後に「ごめんね」と母親から謝罪されたそうです。
「ごめんね」の一言だけでは済まないことを、高橋さんにたくさんしてきた母親ですが、しかし…、
最後にせめてもの「ごめんね」を母親から聞くことができたのは、高橋さんにとってはせめてもの救いになったのではないでしょうか。
人間はなんて愚かで不器用な生き物なのかと、考えさせられますね。
高橋一生は弟思いの兄
そんな高橋一生さんは、母親が死んだ後、親代わりになって4人の兄弟の面倒を見てきたことで有名ですよね。
それについて調べてみたところ・・・
末の弟とは年齢差が18歳。
赤ちゃんの頃はおむつ換えをするなど、まるで若い父親のように世話をしていたそう。
母の死後は、その言葉通り、高橋一生さんは4人の弟たちの親代わりとなってよく面倒をみているようです。
三男・安部勇磨さんには「プロの世界で勝負しろ」とメジャーデビューをすすめ、料理人になりたいという末の弟には修行ができる寿司屋を紹介。
そして生活面も厳しく、しっかり家計簿などもつけさせているんだそう。
ある抑圧もかけないといけない。規律的なことをやってからの自由。そういうところをしっかり持っていてもらいたい。
なんか、考え方とかすごくしっかりしてるよね。
苦労してきたせいもあるけど、やっぱり元が頭のいい人なんだろうなぁと思う。素敵だわ、本当に。
だそうで、俳優業で稼いだお金の一部も、弟達の学費や教育に使われていたそうです。
お金の面倒だけではなく、キチンと教育している部分がまたすごいですよね。
高橋さんの弟さん達もたくさん苦労してきたと思うので、これからしっかり自身の道を歩み、たくさん幸せになって欲しいものです。
以上、高橋一生についてのまとめでした。