辛口コメンテーターの位置付けにある杉村太蔵さん。
元国会議員の経験を生かして政治評論家としても活躍しています。
少年時代、杉村太蔵さんはテニスで輝かしい成績を残しています。
それなのに推薦で入った大学を辞めています。
テニス少年だった杉村太蔵さんに何があったのでしょうか?
杉村太蔵のテニスの実力
元国会議員の肩書を売りにコメンテーターやバラエティ番組に引っ張りだこな杉村太蔵さん。
今の肩書は投資家、実業家、政治評論家と幅広いです。
意外にも学歴は大学卒ではなく、大学を中退しています。
最終学歴は「筑波大学体育専門中退」。
それもスポーツ推薦で入った学校です。
何のスポーツかと言いますとテニス。
杉村太蔵さんはテニスで輝かしい成績を残しているのです。
杉村さんは小学校4年生でテニスを始めました。
そして北海道札幌藻岩高等学校在学中に「なみはや国体」のテニス少年男子で優勝しています。
小学生の時からテニスに明け暮れる日々で、お父様もテニスでいい成績を残している恐るべし遺伝子を受け継いでいました。
杉村太蔵のテニス経歴
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ここでもっと詳しく杉村太蔵さんのテニス経歴をご紹介していきましょう。
先ほども触れましたが杉村太蔵さんのお父様は北海道の大会で優勝し、おじい様は北海道で初めてテニスを始めた功労者だったそうです。
そんな遺伝子を受け継ぎ、テニスをやらなきゃ何をやる、といった環境で育った杉村太蔵さんは、小4でテニスを始めました。
杉村さんの話によれば、お父様はテニスクラブを経営していて、実家に2面のテニスコートがあったそうです。
杉村さん自身も実力とセンスがあったのでしょう。
小学生の時点で学校ではなくひろ~い北海道で敵なしと言われていたほどの腕前でした。
中学生時代は有名高校からスカウトを受けたと言いますので、相当目立っていたのでしょう。
福岡の名門柳川高校からもスカウトされましたが、杉村さんは逆に「柳川を倒して全国制覇するのが夢」だと言い、スカウトを断ったそうです。
この頃から口が立つ感じがしますね。
そして、杉村少年が高校生の時、高校総体北海道大会で同級生ペアに負け、その悔しさをバネに杉村少年は心も体も鍛え直しました。
その結果、国体で全国優勝。
北海道勢で全国優勝した記録は未だ破られていません。
杉村太蔵が大学でテニスを辞めた理由
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輝かしい成績を残し、将来も期待されていたであろう杉村太蔵さん。
当然大学も推薦で筑波大学体育専門学群に入学しました。
ですが、杉村太蔵さんはテニスを辞めてしまったのです。
そこには何か大きな理由があったのでしょうか?
どうやら燃え尽き症候群になってしまった様子。
高3で全国優勝したことに満足し、やり切った感を感じてしまった杉村太蔵少年は、練習をしなくなります。
すると当然体は鈍り試合でも負けが続き、テニスに対する情熱をすっかり失ってしまったのです。
残念ですね・・・。
そして、大学を中退。
杉村太蔵さん曰く「人生で最も悔やまれる出来事」「苦悶の日々」だった大学時代だったようです。
その姿勢が国会議員を続けられなかった要因に繋がる気がします。
テニス経験が仕事では役立った
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杉村太蔵さんはある日のインタビューでこう語っています。
「国会議員時代は、官僚や国会議員の先生方によくテニスに誘っていただきました。それを機に可愛がっていただき、政策のことなどを勉強させてもらう機会が増えました」
国会議員の先生のイメージって実家がお金持ちで高学歴というイメージがあります。
だからテニスにも親しみやすく、実際テニスでコミュニケーションをとれるなんてやっぱり育ちが違う気がします。
杉村太蔵さんにとってはお仕事上だいぶプラスに働いたようです。
「海外に行った際には、テニスコートにラケット1本持って行けばすぐに現地の友人ができますしね。テニスを通じて出来た仲間も多いです」
杉村太蔵さんの明るさやコミュニケーション能力の高さはここから来ているのかな?と思いました。