アナウンサーや女優として活躍していた野際陽子さんは1973年に千葉真一さんと結婚し、娘さんが一人誕生しています。
その娘が野際陽子さんとそっくりと話題になっています。
そこで本記事では、
- 野際陽子の娘・真瀬樹里の人物像
- 真瀬樹里と父親の関係
- 野際陽子は娘・真瀬樹里にとってどんな母だったか?
を中心に解説します。
目次
野際陽子の娘は真瀬樹里
野際陽子さんの娘の名前は、真瀬樹里さん【まなせじゅり】さん。
真瀬樹里さんのプロフィールは下記の通りです。
- 本名:野際樹里
- 生年月日:1975年1月1日
- 年齢:45歳(2020年4月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 身長:164cm
野際陽子さんは38歳11か月での初産となり当時、芸能人の高齢出産最高齢記録でした。
学歴
そんな野際陽子さんの娘・真瀬樹里さんは、高校までカトリック系の学校である雙葉学園というところに通っていました。
雙葉学園は附属幼稚園から高校まであり、東京都千代田区に所在しています。
また、大学は日本大学藝術学部演劇学科に進学しています。
この大学の偏差値は55で、舞台芸術や歴史などを幅広く学ぶことが出来ます。あの宮藤官九郎や篠山紀信も日本大学藝術学部出身だということでした。
親子がそっくり!
ドラマ『特捜9』に出演している羽田美智子は度々ブログで『特捜9』の宣伝もかねて共演者との楽し気な撮影現場の様子を複数公開しています。
その『特捜9』の第二話では、出版社の社員で校閲部の村上光代役として真瀬樹里さんが出演。
それに伴って、羽田美智子さんが真瀬樹里さんのオフショットを公開していました。
羽田美智子さんは2010年に放送されたドラマ『花嫁のれん』で野際陽子さんと共演し、芸能界の母として慕うほど敬愛していたため、画像とともに「(野際さんに)だんだん瓜二つになってるような、、、」とコメント。
また、コメント欄には下記のようにそっくりだという声が多く寄せられていました。
- 「本当に野際さんによく似ていますね!!」
- 「母娘はやっぱり似てくるのですね」
- 「あれ? 野際陽子さんさん? 一瞬ドキッとしました」
- 「樹里さん! 本当にそっくり! 野際さん!? って驚きました!」
確かに、輪郭や目元が瓜二つです。
女優になるまでの道のり
母親と同じく女優として活躍している真瀬樹里さんは、幼少期から女優の道に進みたいと考えていたのだとか。
女優への道を決めたのは5歳の頃。
それ以降は女優になるために必要だと思ったピアノやヴァイオリン、ボイストレーニングなど数多くの習い事を始めました。
そして、真瀬樹里さんは大学在学中に女優デビューを果たします。
しかし、野際陽子さんは教育に厳しかったため、「義務教育が終わるまでは学業に専念するように」と言われ続け、なかなか芸能活動を認めてくれなかったようでした。
ただ、真瀬樹里さんの「励ましてもらいたいのではなく抱きしめてもらいたい」という言葉にハッとし、野際陽子さんは女優デビューを認めてくれたのです。
真瀬樹里さんもかなり苦労したのでしょうね。
出演作
真瀬樹里さんは沢口靖子が主演を務めるあの人気シリーズ『科捜研の女』に出演していたようです。
出演したのは、2017年1月26日に放送されたseason16の第11話、『おもてなし殺人?』でした。
祇園のホステスである芹沢結子を演じ、殺害された外国人観光者と一緒にレストランで食事をしたという設定だったようです。
その他には、下記のような作品に出演しています。
- ドラマ『私の運命』
- ドラマ『愛とは決して後悔しないこと』
- ドラマ『キッズ・ウォー』
- 映画『キル・ビルVOL.1』
- 『トットちゃん!』
『キル・ビルVOL.1』は2004年に公開された作品では、殺陣指導も行うなど映画のアクションシーンに貢献していたようです。
また、『トットちゃん!』では母親である野際陽子さん役として出演していました。
結婚している?
2022年現在47歳の真瀬樹里さんですが、今も結婚しておらず、独身だということでした。
結婚しない理由については明言していませんが、噂ではアニメ『ドラゴンボール』のセリフをすべて覚えるほど熱狂的なファンで、『ドラゴンボール』が好きすぎて結婚できないと言われているようです。
父親は千葉真一
真瀬樹里さんの父親は、俳優である千葉真一さん。
- 本名:千葉真一さん
- 生年月日:1939年1月22日
- 代表作:『少林寺拳法』『影の軍団』『魔界転生』、海外作品『海底大戦争』『キル・ビル』
世界的に有名なアクション俳優で、体操選手や空手家という肩書きも持っているようです。
そんな千葉真一さんは1973年に野際陽子さんと結婚。
二人はドラマ『キイハンター』での共演がきっかけで交際し結婚に至りました。
その後、真瀬樹里さんが誕生しますが、1994年に離婚。
離婚理由は、夫婦仲が悪くなったからではなく、ハリウッド進出を想定して千葉真一さんがアメリカに移住することを決めたからなんだとか。
なので、野際陽子さんとは二人そろって離婚会見を開いていたようです。
その後、1996年には28歳年下の女性と結婚し、人気若手俳優・新田真剣佑と眞栄田郷敦を授かっています。
2015年にはその女性とも離婚していたとのことでした。
離婚後も、真瀬樹里と千葉真一の親子関係は良好だった!
両親同士が険悪なムードで離婚した訳ではなかったため、真瀬樹里さんは離婚後も千葉真一さんとは連絡を取り合っており、関係は良好だったようです。
真瀬樹里さんはドラマ『寺子屋ゆめ指南』や『風林火山』、バラエティ番組などでも千葉真一さんと出演することもありました。
さらに、腹違いの兄弟である新田真剣佑や眞栄田郷敦とも面識があるようです。
また、2017年6月13日に野際陽子さんが亡くなられた後も良好な関係が続いています。
野際陽子は真瀬樹里にとってどんな母だったのか?
前述したように、野際陽子さんは2017年6月13日に亡くなられました。
そんな野際陽子さんは真瀬樹里さんにとってどんな母親だったのか?
女優としての野際陽子さんは、知的でクールというイメージが強いですが、娘からするとクールな印象はなかったようです。
勉強熱心で考え方も個性的だったようですが、おっちょこちょいで天然。さらに人を笑わせることが大好きで、笑いをとりたがるような性格だったのだとか。
自宅にいるときでもテレビを見ながら突然モノマネを始めたりと面白い母親だったそう。
そんな陽気な野際陽子さんが大好きだったようですが、一方で厳しい母親でもあったようです。
教育熱心な野際陽子さんは、身の回りのしつけはもちろん、勉強や習い事にはかなり厳しかったのだとか。
何度も同じ間違いをすると、怒鳴られて手も出されることもあったようでした。
4歳から習い始めたピアノは家での練習で、常に野際陽子さんが横に張り付いていて何時間も稽古をさせられていた為、真瀬樹里さんは「ピアニストになりたいわけじゃないのに、なんでこんなに叱られなきゃならないの」と嫌でたまらなかったそうです。
ただ、怒ると怖い母親でも娘に対する愛情は絶対的なもので真瀬樹里さんは母親の愛を疑うことはありませんでした。
幼い頃は「かわいい、かわいい、私の樹里ちゃん。」と抱きしめられていて、どんなことがあっても母親の愛情だけは信じ、支えになっていたようです。
そんな野際陽子さんによく言われたのは、「いつも笑っていなさい。機嫌が悪かったり、気に入らないことがあってふてくされているとそういう顔になっちゃうのよ。」という言葉。
さらに、思春期になると「輝いていなさい。」と言われ、真瀬樹里さんが友人関係で悩んでいると「相手がどう思っていようが、自分が輝いてさえいれば、人は引き付けられてくるものだから」と励ましてくれたようです。
真瀬樹里さんにとっては、とても良い母親だったんですね!
野際陽子、真瀬樹里との30年分の抱擁
真瀬樹里さんが女優としてデビューしたあとも、野際陽子さんの厳しい姿勢は変わらず、悩んで弱音をこぼすと「ネガティブなことを言っている間に出来ることをしなさい」と言われていたようです。
野際陽子さんにとっては、愛する娘のためのエールの言葉だったのでしょうが、真瀬樹里さんからすると説教する前に気持ちを受け止めて、辛いときは思い切り泣かせてほしかったと言います。
ずっとそんな思いを隠してきたのですが、真瀬樹里さんが30歳を過ぎたころ。
些細な口論がきっかけで、一番甘えたい母親に甘えられなくて寂しかったこれまでの思いを泣きながらぶつけたようです。
その姿に野際陽子さんは「苦しい思いをさせてごめん。気づかなくてごめんね。」と30年分抱擁してくれたとのこと。
それ以降は、野際陽子さんの接し方や言葉が変わり、親子関係にわだかまりもなくなったようでした。
いかがでしたでしょうか。
30年分の抱擁、きっと温かかったでしょうね!
今後も真瀬樹里さんの活躍を期待しています。