水島かおりの夫の長崎俊一さんについてご紹介したいと思います。
水島かおりの夫・長崎俊一はどんな人?
日本大学藝術学部映画学科に在学中の1978年、『ユキがロックを棄てた夏』を監督。同作は、現在のぴあフィルムフェスティバルの前身である第2回ぴあ展「自主制作映画展」で入賞。
1980年、秋からATG作品『九月の冗談クラブバンド』の撮影に入るが、事故で負傷し撮影を中断。
1982年、劇場用映画の初監督作品『九月の冗談クラブバンド』が公開。1986年、日本人では初めてサンダンス・インスティテュートに招かれ、研修の機会を得た。
1991年、『誘惑者』がサンダンス映画祭にて上映される。2005年、山崎まさよし主演の『8月のクリスマス』を手がける。
水島かおりは現在、病気!?
水島かおりさんが病気になっているという噂が!!どんな病気になっているのか気になりますよね。
その答えは、水島かおりさんの爆竹秘話バンッババンにご自身が書かれていました。
女優さまの仕事を続けて行きたいなと、今、素直に思えるようになった。
そんな事を思える自分が嬉しい。
しかし、世の中そんなに甘くない…でも…いいのだ。
もちろん、うつ病になり、「同じ人間と思われたくない」と言われ傷ついた事もあった。
でも、そんな事を乗り越え、沢山の時間、沢山の周り人々…が、どれだけ力になってくれたか、その時は分からなかった。
今だからわかるんだね。そんな事を…ゆっくり書けていけたらと思う。
今年、オレが44歳だから10年前??…相変わらず数字に弱い。月日が経つのは早いな〜
重度のうつ病。辛かったな〜〜あれは…
でも、医者の言う通り、相当酷かったのか、このオレが珍しく先生の指示を…っていうか、気力も何もないのが、うつ病で…先生の…言葉…素直に…ただ…聞き…それと、芸能界に詳しい先生で…で、2年で完治。
先生が言った、うつ病は「体が風邪ひくように、心も同じように風邪ひくんだよ。
あれ〜?と思った時は内科に行くようにいつでも来なさい。
日本は、そういうの遅れてるからね。偏見もあるだろし」(完治してから今んとこ、ねぇーなぁ〜〜)
その当時、うつ病はまだ珍しく、病院に行く事も恐かった…オレも人の子、女優さまが心療内科に?…バレたら、どうすんねん?!
ので、変だなと思いつつ、心療内科に行けなかった。
今はそうでもないけどね。皆、告白してっから。
家人に腕を引っ張れ、泣きながら行ったなぁ〜〜
このようにご自身のブログでも、うつ病で苦しんだときの様子を書かれていました。なので、現在はうつ病も完治されているようですが・・・
うつ病はいつまた発症するかわからない病気なので気をつけているそうです。
夫が支え
ある日、夫の味というブログタイトルで投稿されました。
今、動かない虫の様に暮らしている。
昨日もソファでテレビもつけずボーっとしていたら、台所で何か切っている音がする。
フラフラと見に行くと、家人がご飯を作っている!
びっ!びっくりだー!!
目玉焼きと、ゆで卵しか作れないのに…
本を見ながら奮闘している。
ちょっと前に、オレがキノコの炊込みご飯が食べたくて買って置いたけど、疲れて作れなかった。
「あ…キノコがでか過ぎる…もうちょい小さく…」でも、何も言わなかった。
家人の不器用な手つきと、大きく切ったキノコ。
丸くなった背中…声をかけずに、そっとソファに戻った。
一段落したのか、家人が「ビール飲もう」と、ビールを二人で飲んだ。
「今日のご飯は美味いぞー!」と、ご機嫌だ。
やがて、炊き上がった。
おかずはお新香しかなかった、忘れたらしい。
おみそ汁も作り忘れたらしい。
家人は悔しがったが、「ほうじ茶が合うよ。それに炊き込みご飯に、おかずはじゃまだよ」と、言った。
おみそ汁の変りに、ほうじ茶。
おかずがお新香だけでも、キノコの炊き込みご飯も、ホントはしょっぱかったけど食べながら家人が背を丸めてキノコを切っている姿が浮かび…その姿だけで…味なんてどうでもよかった。
オレのためのオレだけの『キノコの炊き込みご飯!』とっても、とっても美味しかった。
なんか元気になった。
もう虫じゃない!
このように水島かおりさんが元気に暮らせているのは、旦那さんの優しさがあるからとこのブログからも伝わってきますね!