人の心理を巧みに操り、マジックのようなパフォーマンスを披露して私たちの度肝を抜いてきたメンタリストのDaiGoさん。
メンタルや恋愛術に関する本の出版や、大学で教鞭を取っている等、「こころ」の専門家であるDaiGoさんの父親や母親はどのような方なのでしょうか?
調べていこうと思います。
目次
メンタリストDaiGoの父親は松丸悟!
メンタリストDaiGoさんの父親は「松丸 悟」(まつまる さとる)さんといいます。
DaiGoさんは長らく本名を隠して活動してきましたが、父親の名前がわかったことで「松丸 ダイゴ」さんであることがわかりました。
さらに、松丸悟さんはDaiGoさんはじめ4人の男の子の父親です。
長男がDaiGoさん、次男が独学でプログラマーになったという慧吾さん、三男が慶應大学の薬学科を出て調香師になったドラマ―の怜吾さん、四男が2019年現在、現役東大生で謎解きクリエイターとして有名な亮吾さんです。
独学でプログラマーになったり、慶應大卒で調香師になったり、現役東大生で謎解きブームの牽引者だったりと、松丸悟さんの息子さんたちは天才集団ですよね。
ちなみに、息子さん全員に「吾」という字がつけられていますが、もちろん松丸悟さんの「悟」から取られたことは間違いなさそうです。
メンタリストDaiGoの父親・松丸悟の年齢
メンタリストDaiGoさんはじめ、4人の天才を育ててきた松丸悟さんの年齢は、一般人だからなのか公表されていません。
しかし、結婚した奥さんが1954年生まれなので、仮に同級生だとすると、2020年で66歳ということになります。
見た目はダンディーとまではいきませんが、還暦を過ぎているとは思えないくらい、若々しい印象をうけます。
メンタリストDaiGoの父親・松丸悟の職業
出典:https://samidareshiki.com
メンタリストDaiGoさんの慶應義塾大学卒業や、四男の亮吾さんは、2019年現在現役東大生と、4人の息子たちを有名大学に通わせ、それぞれが自分の道で活躍している兄弟たちの父親、松丸悟さん。
松丸悟さんはどのような仕事をしているのでしょうか?
「松丸悟」でネット検索すると、学校の先生や剣道家といった方が何人か出てきましたが、いずれのもDaiGoさんたちの父親ではないようでした。
会社の重役なのでは?とか、息子たちが理工学や薬学を学んでいることから医者なのではないかという噂がありますが、定かではありません。
2019年度の慶應義塾大学理工学部の学費は年間約160万円、薬学部薬学科の学費が約220万円と、かなりの金額です。
これらの学費を親が払っているとしたら、結構な収入がないと払うのは難しいでしょうから、高収入の職業についていることは間違いなさそうです。
メンタリストDaiGoと父親・松丸悟の関係
出典:https://tktktakunet.com
SNSのプロフィール欄で「弟のように謎は作れませんが・・・」と四男の亮吾さんを思わせる事を書いている一方で、「兄のようにメンタルは読めないけど・・・」と兄のDaiGoさんを思わせることを書く亮吾さん。
兄弟の仲の良さを感じさせますね。
それでは父親である松丸悟さんとDaiGoさんとの関係はどのようになっているのでしょうか?
2019年の12月、四男の亮吾さんの誕生日に父親の悟さんと兄弟たちが集まってお祝いしている様子がSNSでアップされています。
DaiGoさんが写っていませんが、これはおそらくカメラマンとして撮影しているからでしょう。
家族そろって兄弟のお祝いをしていることや、その翌日の大晦日にDaiGoさんの家で年越そばを打っている等、イベント事に集まって楽しんでいる感じからすると松丸悟さんとDaiGoさんとの関係は悪くはないと思われます。
思春期等を境に、父親と息子に関係が良くなくなり、疎遠になることがありますが、松丸悟さんとDaiGoさんにはそのような心配はなさそうですね。
もっとも、DaiGoさんはメンタリストですから、強引にでも自分や父親の心理状態を変えられるかもしれませんが・・・
メンタリストDaiGoの母親の名前や年齢
出典:https://mag.sendenkaigi.com
素性はあまりよく分かりませんでしたが、仲が良いと思われるメンタリストDaiGoさんと父親の松丸悟さん。
では、DaiGoさんの母親はどのような方なのでしょうか?
DaiGoさんの母親の名前は「順子」さんといい、残念ながら、58歳の若さでこの世を去っています。
出典:https://kansyaorei.xyz
DaiGoさんにとって、メンタリストという今の仕事についたことや、少年の頃の人格形成において、母親の存在が非常に大きかったといわれています。
小学校から中学2年生までいじめられっ子だったというDaiGoさん。
トイレで水をかけられたり、上履きに画鋲を入れられたりといった、典型的ないじめを繰り返し受けていたそうです。
待っていれば、状況が変わるかもという願いは空しく、先生ですら手を差し伸べてくれなかったといいます。
出典:https://oitachi-ima.com
なす術のなかったDaiGoさんにチャンスをもたらしたのは母親の順子さんでした。
工作室での授業の時、母親である順子さんを馬鹿にされたDaiGoさんは、「こ〇してやろう」という怒りで、衝動的に足元にあったナタを馬鹿にしてきた相手に投げつけたのだそうです。
これまで何をされても仕返しをしてこなかったDaiGoさんからの思わぬ反撃。
しかも一歩間違えば命を失っていたかもしれないという恐怖に、馬鹿にしてきた人たちは驚き、周りの人たちは「ヤバいやつ」という認識を持ったのでしょう。
これまでとは明らかにDaiGoさんを見る目が変わったそうです。
でも、自分ではなく、母親を馬鹿にされて怒るなんて、DaiGoさんは非常に母親思いなのでしょうね。
そして、DaiGoさん自身の意識が、ここで大きく変わりました。
「世界を変えるには自分が動いて変えるのが一番」という意識の元、天然パーマからストレートヘアーに、メガネからコンタクトに、ちょっとぽっちゃりからスリムに、成績はワースト3からベスト3にと、これまでの自分とは真逆の姿を実現することで、周りの見方や評価を真逆にすることに成功したのです。
また、DaiGoさんの大学進学についても、順子さんは手助けをしてくれていました。
高校生の頃のDaiGoさんは、大学に行くなら東大!と心に決め、東京大学だけを受験しましたが、残念ながら不合格に。
浪人した時も、東大一本で考えていたところを、母親の順子さんがこっそりと願書を出していて、見事、慶應義塾大学に合格するのです。
ただ、望んでいた大学に合格できなかったことに対する、なんともやりきれない気持ちは払拭できずにいたDaiGoさん。
出典:https://furikake.doda.jp
このまま周りの学生たちと同じことをしていてはダメだと思い、図書館にこもるような生活をはじめたのがきっかけで、メンタリストを目指すようになったといいます。
東大に行きたかったけれど行けなかったDaiGoさんに対して、母親の順子さんがこっそり出した願書のおかげで、結果的には、将来の仕事を見つけることができたのですから、面白いものですね。
メンタリストDaiGoの母親の職業
出典:https://shinronavi.com
怒りという感情ながら、息子に人生の転機となる気づきを与え、万が一の保険をかけて息子を大学生にしたメンタリストDaiGoさんの母親である順子さんは、どのような職業なのでしょうか?
公的なプロフィールは残念ながらありませんでしたが、いろいろと調べてみると、順子さんの職業は薬剤師だということがわかりました。
DaiGoさんが理工学部、三男の怜吾さんは薬学部、四男の亮吾さんが工学部と、兄弟たちが理系を専攻していったのは順子さんの影響が大きかったかもしれませんね。
実際、DaiGoさんの家には順子さんの仕事のためなのか物理や化学の本がたくさんあり、知らずしらずに科学好きになっていったともいえます。
DaiGoさんが小さい頃に「将来研究者になる」といった時には、「あなたが発明をしたら、鼻が高い」と喜んでくれたそうです。
メンタリストDaiGoの母親は2012年に亡くなる
薬剤師という職業に就き、その姿から子供たちが同じような道に進んでいったDaiGoさんの母親、順子さん。
残念ながら2012年、58歳という若さでガンによって亡くなっています。
順子さんは、自分がガンに侵されていることを夫である悟さんにだけ告げ、子供たちには、できる限り普通に接していたそうです。
ですが、DaiGoさんはある時、母親の持ち物らしき抗ガン剤を発見し落胆しました。
当時はメンタリストとして注目されていた頃で、多忙だったDaiGoさんを順子さんは病気の自分よりも心配していたそうです。
そんな母の姿に、DaiGoさんは「仕事を辞めて医学部に入ろうと思う」と母のために何かしてあげたいと決意を語ったこともあったといいます。
本当に、母親思いのいい子ですよね。
病状が進行し、自宅療養という名で、家で息を引き取ることを選んだ順子さん。
いよいよ最後の時が訪れます。
2012年の4月、番組収録直前のDaiGoさんに父親の悟さんから連絡が入ります。
何とか収録を終えたDaiGoさんは急いで自宅に向かいます。
そして、DaiGoさんの帰りを待っていたかのように、順子さんは静かに息を引きとったそうです。
後に、DaiGoさんは当時の自分の状況を省みて、自分がもっと頑張っていれば、順子さんにいい医療を受けさせることもできたのでは?と後悔してもしきれないことがあったといいます。
マザコンとまではいかないでしょうが、常に子供たちに寄り添ってきた母親を失ったショックは、なかなか癒えるものではありませんよね。
また、順子さんは末っ子の亮吾さんのことを一番気にかけていました。
順子さんの死後、遺品の整理をしていると、順子さんがいろいろと書き留めていたノートが見つかります。
自身の苦しみや、子供たちが喜びそうなおかずのレシピがメモされている他、亮吾さんに向けた夢が書かれていました。
「もっと頑張れたら、亮吾が大学生になるのを見ること!」
当時、高校生で、病気であることを知らず、母親に対して反抗的な態度をとっていた亮吾さん。
時に、順子さんに対して暴言を吐いたこともあったそうです。
でも、この言葉を見つけたことで、何とかして母親の願いを叶えなくてはならないと決意。
DaiGoさんたち、お兄さんたちの力も借りて見事に東京大学に合格するのです。
出典:https://rebeauty.love
母の墓前で合格を報告した亮吾さん。
ですが、本当は生きている母に伝えたかったと悔やんでいたそうです。
DaiGoさんの母親の順子さんは、この世を去ってもなお家族のことを見つめ続けているように思います。
そして、どこかで見ている順子さんが喜んでくれるように、DaiGoさんたち家族より仲良く暮らしているのでしょう。