今回は、風間トオルさんの壮絶な貧乏エピソードを紹介!
風間トオルさんが幼い時に貧乏だった理由やその貧乏生活から学んだことを見てきましょう↓
目次
風間トオルの壮絶な貧乏エピソード
俳優として活躍している風間トオルさん。
現在57歳になられましたが、ベテラン俳優として今も様々なドラマや映画に多数出演されていますよね。
そんな風間トオルさんですが、「幼少期に壮絶な貧乏エピソード」をお持ちのようで、それが話題になっているようです。
貧乏時代には野草や花、虫まで食べていたというエピソードが…。
そんな噂を聞くと、当時どんな生活を送っていたのか気になりますよね。
ということで、これから風間トオルさんの貧乏エピソードについて詳しく見ていきましょう。
貧乏エピソード① 食事関係
まずは、風間トオルさんの貧乏時代の食生活についてまとめてみました。
- 食事は1日1膳とお新香だけだった。
- 雑草や花を素揚げして食べていた時もあり、一番美味しかった草花は紫色のアサガオだった。
- 冷蔵庫がなかったため、食べ物の保存は土の中に入れて冷蔵していた。
- 夏休みの自由研究の時に、友達と多摩川の水質調査をしていた風間トオルさんは、喉が渇いても水筒を持っていなかったため、多摩川の水を隠れて飲んでいた。
- あまりの空腹の時には、カマキリやバッタなどの虫を食べていた。
などなど、想像以上に壮絶な貧乏エピソードですよね。
ちなみに風間トオルさんいわく、生で食べて一番美味しかった虫は「カマキリ」とのこと。
ある日の朝、起きてから猛烈な空腹に襲われた風間トオルさんは、家に入ってきたカマキリを美味しそうだと思い、足から食べてみたら苦かったそうです。
そして、バッタは普通に味付けして食べていたとのこと。
虫を生で食べるなんて、、、、空腹が極限状態になると、そのような発想が思い浮かんでしまうのでしょうか…。
また、草花や虫などは、「口に入れた時に痺れるか痺れないか」で食べられるか判断していたそうです。
幼少期に命をかけながら食事をしていたなんて…涙ぐまし過ぎます(涙)
そんな風間トオルさんは、小学5年生になるまで、お菓子の存在すら知らなかったそうです。
貧乏エピソード② 普段の生活
次は、貧乏時代の普段の生活についてのまとめです。
- 家にお風呂がなかったため、洗濯機に水を入れて入っていた(水しか出ず寒かったので、洗濯機を回して水流で寒さを誤魔化していたらしい)。
- 服を着たまま石鹸を持って洗濯機風呂に入ると、洗濯にもなって一石二鳥だということに気づき、一緒に洗っていた。
- お金がないためバスや電車には乗れず、どこに行くにも歩き、10キロぐらい歩くことは普通だった。
- 寒いのが苦手だったため、太陽の向きなどに注視し、どうやったら暖をとることができるのかを常に研究していた。
- 寒すぎる日は、走りながら石を壁にこすりつけ摩擦熱を発生させ、それをカイロがわりにしていた。
- 逆に暑すぎる時は、日陰にあるトタンなどに体をくっつけて、体を冷やしていた。
- 2、3枚しかパンツを持っていなかったため、だいたいノーパンで学校へ行っていた。
洗濯機を風呂代わりにしていたなんて、これまたものすごい発想ですよね。
そんな風間トオルさんは、高校生になると一人暮らしを始め、学費と生活費を稼ぐためにバイトをし、睡眠時間は2時間ほどしかなかったそうです。
壮絶にも程がありますよね。
風間トオルの家庭が貧乏だった理由
風間トオルさんの幼少期はなぜそこまで貧乏だったのでしょうか?
その理由は、風間トオルさんが5歳の頃に両親が離婚したことがきっかけだったそうです。
風間トオルさんは父親に引き取られ、祖父母の家で暮らすことになりましたが、その後父親が蒸発し、祖父母と風間トオルさんの3人で生活することに…。
しかも、風間トオルさんが小学生の頃に、祖父が認知症を患ったにも関わらず、祖母はパチンコに行って世話をしなかったため、風間トオルさんが祖父の介護をしていたとのこと。
そのため、働き手がいなくて究極の貧乏だったそうです。
祖母は稼ぐ手段としてパチンコに行っていたのか、ただの発散でパチンコに行っていたのかはわかりませんが、風間トオルさんが幼少期にとても苦労していたことは間違いありません。
風間トオルさんはそんな過去について悲観していないそぶりを見せていますが、傍から見たら可哀想以外の何ものでもないですよね。
風間トオルの貧乏エピソードはネタ?
これまでご紹介してきた風間トオルさんの貧乏エピソードの一部は、過去に『明石家さんまのコンプレックス杯』で風間トオルさんが語られたことがあり、それを見た視聴者からは…
- 「番組的にオーバーに話を盛ったのでは?」
- 「流石に半分以上は嘘でしょ」
との声が挙がっていたそうです。
しかし、風間トオルさんは、自身の貧乏エピソードを綴った『ビンボー魂』という書籍を2016年に発売されています。
書籍にまで書かれているようなので、貧乏エピソードは事実なのではないでしょうか?
風間トオルが貧乏生活から学んだこと
そんな風間トオルさんが、幼少期の貧乏エピソードから学んだことは『大抵のことはどうにかなる』だったそうです。
特に祖母の豊かな愛情が風間トオルさんに影響を与えたらしく、そのおかげで風間トオルさんはグレることもなかったみたいです。
また、たとえ生活が苦しくても、周囲に気配りを忘れない祖母のおかげで、人と人との絆があり、周囲の人達から助けられることも多く、なんとか乗り越えていたとのこと。
そんな貧乏生活から学ぶことは多かったようですね。
強い精神力と人に対する思いやり
風間トオルさんは貧乏生活から、『強い精神力と人に対する思いやり』を学びました。
情け深い性格の祖母が、カニの行商に来た人の可哀想な身の上話を聞いて、その月の生活費をはたいてまで全てのカニを買い、近所の人達に配ったというエピソードがあるそうです。
そんな祖母の姿を見た風間トオルさんが、「これからどうするのか?」と心配していると、カニをもらった近所の人達から次々とお返しがきて、風間トオルさんはそこで人との繋がりの大切さを知ったとのこと。
そんな経験から、強い精神力や思いやりを学んだそうです。
超がつくほどお人好しなおばあさんだったんですね。
少々のことでは動じないポジティブな心
風間トオルさんは貧乏生活を経験して、『少々のことでは動じないポジティブな心』を手に入れたそうです。
そりゃあこれだけ究極な貧乏生活を幼少期に経験したら、少々のことでは動じなくなりそうですよね。
しかし、風間トオルさんが凄いところは、そんな幼少期を悲観することなく、今では丈夫で健康な体に生んでくれた両親に感謝しているということです。
あれほどの貧乏生活を送っていたら、事情が事情なだけに両親を恨んでも仕方ないところですよね。
しかも風間トオルさんが俳優として売れ始めてから、風間トオルさんを見捨て続けた父親が、時々お金の無心に来るようになったそうです。
そんな姿を見てもなお、両親に感謝の気持ちを抱けるということは、本当にポジティブな心を持っていないと無理ですよね。
風間トオルさんの貧乏エピソードは本当に壮絶でしたが、風間トオルさんがそのことを前向きに受け止められていて良かったです。
以上、風間トオルの貧乏エピソードについてのまとめでした。