複雑な幼少期を過ごしてきた唐沢寿明さんの生い立ちをご紹介します。
目次
唐沢寿明さんと生い立ち
現在のように有名俳優になるまで、大変な苦労があった唐沢寿明さんの生い立ちは、一体どんなものだったのでしょうか。
在日朝鮮人と噂
唐沢寿明さんの生い立ちを調べていると、「韓国」というワードが出てくるのですが、唐沢寿明さんは生まれも育ちも日本で、両親も韓国とはまったく関係ありません。
これは、どうやら、出身中学の忍岡中学校に有名な韓国スターが通われていたそうで、色々話が混ざってしまい、唐沢寿明さんが在日朝鮮人なのではないか?と言われるようになっただけの話です。
ちなみに、その韓国スターとはキム・ソナさん。日本でも放送された「私の名前はキム・サムスン」の主演されていた方です。
生い立ち~複雑な家庭環境~
唐沢寿明さんの両親は毎日喧嘩が絶えない夫婦だったようで、父親が母親に暴力を振るうこともあったとか。
ある日、いつものように喧嘩の仲裁に入った唐沢寿明さん。その時、唐沢寿明さんは父親に対し、『お袋は出て行かなくていい、親父が出て行け!』と怒鳴ったそうです。
結果、父親は出て行ったんですが、これは当然、唐沢寿明さんは母親を助けるつもりで言ったんです。
しかし、その直後、母親から「あんたが出て行きなさいよ」と耳を疑う言葉を浴び、この日、唐沢寿明さんは勘当されてしまうのです。
唐沢寿明さんはそのまま家を出て、新宿行きの電車の中、一人泣いていたそう。。
これは泣いてしまいますよね。母親を守ったのに、その母親は自分ではなく暴力を振るう父親を求めていたなんて・・・。
長い下積み時代
唐沢寿明さんが皆さんに知られるようになるまでには、長い下積み生活があったのです。
俳優を目指したきっかけ
唐沢寿明さんが俳優を目指したきっかけは、橋爪功さんの演技を見てからのようです。
唐沢寿明さんは当初、橋爪功さんの悪役が嫌いで、泣いていたとか。
しかしそれが、全部演技であった事を知り、衝撃を受けます。この事がきっかけで唐沢寿明さんは、俳優への道を意識するようになりました。
中学3年生で、俳優への第一歩を踏み出す
唐沢寿明さんは俳優になりたい一心で中学3年生の頃、東映の撮影所に行き、守衛の人に「俳優になりたい」と声をかけます。
まだまだ知らない事の方が多い中学3年生ですから、撮影所にいる人はみんな映画の関係者だと思っていたのでしょう。
守衛さんに、「とりあえず中学を卒業してから、また来い」と、適当に帰されました。
その言葉を鵜呑みにした唐沢寿明さんは、中学を卒業し、再度東映の撮影所に行きました。
そして『中学を卒業したから、来た』と約1年前の事を話すが、相手はまったく覚えていなかったんだとか。
しかし、『どうしても俳優になりたい』という唐沢寿明さんの熱意が伝わり、見事、東映の養成所に入ることができました。
ただただ俳優になりたいという純粋な気持ちだけでここまでできるものなのですね。
唐沢寿明さんの熱量もすごかったのが想像できます。
唐沢寿明さんだとはわからない役もこなした俳優養成所時代
「トイストーリー」のウッディの声優をこなすなど、活躍の幅が広い唐沢寿明さんですが、ブレイクする前は、顔をだしてセリフのある役がほしいと言っていたほど・・・。
養成所に入って1年から2年がたった頃でも、まだまだ俳優として芽が出ませんでした。この頃は、スーツアクターの仕事がほとんど。
スーツアクターとは、戦隊ものなどで出てくる、怪物などの中の人で、顔も一切出ない役です。
わかりやすく言うと、仮面ライダーのショッカーですね。実際に唐沢寿明さんは、仮面ライダーのショッカーも、やっていた時期があります。
ブレイクのきっかけ
長い下積み生活が終わりを迎えます。
そのきっかけは、浅野ゆう子さんでした。
浅野ゆう子さんのススメで、今の事務所「研音」に移籍するのです。
本名の「唐沢潔」で活動していましたが、現在の唐沢寿明に改名。アクション俳優を目指していた唐沢寿明さんですが事務所の研音は唐沢寿明さんを爽やか路線に変更しました。
すると、今まで何度も落ちていたオーディションに、見事一発合格したそうです。
その後、唐沢寿明さんは『愛という名のもとに』で、エリート青年の役を演じ、この役がハマり、一気にブレイクしました。
その後、1995年のドラマ共演がきっかけで交際していた山口智子さんと結婚。
二人は結婚当時から、「子供はつくらない」という約束のもと結婚していますから子供はいませんが、今でも手をつないで一緒に就寝しているなど、仕事もプライベートも充実した日々を過ごしています。