今回は元プロ野球選手・金田正一(かねだ まさいち)さんについてみていきましょう。
金田正一さんが在日韓国人という情報や、国籍・生い立ちについて紹介します。
金田正一は在日韓国人?
金田正一さんといえば、現在は評論家やタレントとして有名ですが、もともとはプロ野球選手でとてつもない記録を出した人として伝説となっています。
プロ入りしたのは1950年のことで、左投げ、左打ちの選手でポジションは投手でした。
日本プロ野球史上唯一の通算400勝298敗という最多敗戦記録を持っています。
引退後、ロッテオリオンズの監督や、日本プロ野球名球会の初代会長を務めていました。
2019年10月6日、急性胆管炎による敗血症のため惜しまれつつこの世を去っています。
金田正一の国籍
そんな金田正一さん、実は在日韓国人ということを明かしています。
金田正一さんは在日韓国人として愛知県に生まれていますが、1959年に日本に帰化しているので国籍は日本です。
韓国名は金慶弘(キム・ギョンホン、김경홍)といいます。
私生活では結婚を2回、離婚を1回しているようです。
最初の妻である榎本美佐江さんとは1955年3月から同棲生活をしており、榎本さんが芸能活動を引退して金田正一さんが日本国籍を取得してから1960年に正式に結婚しました。
しかし、宝塚歌劇団卒業生・雅章子さんと不倫関係となり、2人の間に息子・賢一さんが誕生します。
榎本さんとの間にお子さんはできなかったようで、1963年に正式に離婚し、雅さんと再婚します。
長男・賢一さんのほかにも、女の子が2人誕生しています。
娘の金田幸子さんは一時期タレントとして活動しており、資生堂の洗顔料「エクボ洗顔フォーム」「エクボレモンフレッシュ」のCMに出演していました。
金田正一の生い立ち
金田正一さんは愛知県中島郡平和村に誕生し、ご両親は朝鮮半島からわたってきた在日韓国人でした。
9人兄弟の次男として誕生した金田正一さんは、幼いころ戦争を体験したり、生活はとても貧しかったそうです。
病に侵されても医療を受けることができず、2人の妹と1人の姉を亡くしています。
そんな大変な時代に家族を養うため懸命に働いたことで、鋼の肉体を手に入れます。
中学から野球を始め、体格の良さから野球の強豪校に推薦されました。
その時に出会った監督からとにかく走り込みによる体づくりを学び、大記録を生み出す強靭な肉体を作り出します。
ちなみに弟さんもプロ野球選手として活躍した元ロッテ投手の金田留広(とめひろ)氏です。
留広氏は71歳で狭心症を患い、亡くなっています。
金田正一さんがプロ野球・国鉄スワローズに入団したのは、まだ17歳の時でした。
当時は戦後の混乱時で今で言う常識はなかったのですが、高校3年の夏の全校大会県予選で敗退してから中途退学をしてプロになります。
8月デビューにもかかわらず8勝をあげ、2年目にはすでにエースとして活躍します。
巨人に移籍するまでの14年間、連続で年間20勝以上をしています。
まさに「カネやん」が支えているチームといえました。
「スターはワシや!」というカネやんの声が、今にも天国から聞こえてきそうですね!