宮城まり子さんについてご紹介します。
宮城まり子さんのプロフィールについて
宮城 まり子(みやぎ まりこ、本名:本目 眞理子
(ほんめ まりこ)[1]、1927年3月21日 – )は、日本の歌手・女優・映画監督・福祉事業家。
東京都名誉都民。
小学校卒業と同時に、弟と共に吉本興業に入り、歌謡曲を歌うようになった[3]。
戦時中の1944年10月、宮城千鶴子の芸名で15歳で大阪花月劇場(吉本興業直営)にて初舞台を踏む。
1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を設立。
この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。
1973年、吉川英治文化賞受賞。
1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。
1976年には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに出演。
1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。
1979年、「ねむの木養護学校」を設立。
1975年と1981年に実施された、近畿放送(KBS京都)テレビ番組『宮城まり子のチャリティーテレソン』を通して身体障害者の社会参加を訴えた。
これらが評価され、1979年総理大臣表彰された。
また、身体障害者に対する手描き友禅、合唱の指導なども行っている。
なお、ねむの木学園設立時のエピソードは、1981年12月22日にテレビ朝日「ハウスこども劇場」枠において、『小さなラブレター まり子とねむの木の子供たち』としてアニメ化された。
吉本興業に所属している方で、これだけ年配の方というのはしりませんでした。
しかもそれだけではなく、今から40年前に昔話などにも声優として活躍されていたり、身体障害者の社会参加を訴えたり等、幅広く活動されているところが感動です。
また、アニメ化された点もそうですが、本当に生き方がすべてお手本になるというか、素晴らしい人生を歩んでおられるんだなと感じ取ることができますね。
今現在何してる?
これだけご高齢になっているのですから、もう引退されたり、静かに生活をされているのかなと考えてしまいます。
ところが意外な事実が出てきて、びっくりされる方も多いと思いますよ。
2012年から歌手活動を30年ぶりに再開されているんです。
『探検バクモン「ねむの木学園・宮城まり子89歳に会いに行く」』というテレビ番組が放送されるんですが、見たいと思っている人がかなりいることがわかりました。
プロフィールのところにも書きますが、現在の年齢が89歳とご高齢なんで、若い方にはほとんど馴染みがないと思います。
というか、名前を聞くのは初耳って人の方が多いのかもしれません。
お名前を聞くのは初めての方も多いと思いますが、
まさか、年齢を重ねてから歌手活動を始めるなんて想像もしなかったのではないでしょうか。
ご高齢だから歌えないのではなく、いつからでも歌えるんだという気持ちが聞こえてきそうな感じがします。
それぐらいですてきな女性だといえますね。
宮城まり子さんは今現在、ねむの木学園の理事長・園長・校長を務められています。
「ねむの木村」の運営もされています。
日本で初めての肢体不自由児養護施設なんです。
設立は1948年。設立したくらいの時期からタレントとしての活動はほとんどされず、事実上の引退状態となっていました。
その間にもいろんな活動をされており、1979年には、ねむの木養護学校を設立されています。
今年2016年は悲しいニュースがたくさんありました。
その一つが永六輔さんがお亡くなりになられたことです。
知っている人が亡くなるのはとても辛いですよね。
宮城まり子さんは永六輔さんが作詞した曲も歌ったことがあるので、寂しいということをコメントされていました。
皇后さまが「ねむの木学園」の美術展を鑑賞されたことも今年のニュースにありました。
今現在もお元気に活躍されているということなんです。
「ねむの木学園」は由緒ある美術展なのですね。
結婚した夫や子供について。
宮城まり子さんは結婚されたことがないので、夫はいません。
子供もいません。
一応、生涯独身ってことになりそうなんですが、実はそうではないんです。
宮城まり子さんのことを調べていると、作家の吉行淳之介さんの名前が必ず出てきます。
吉行淳之介さんは結婚して約10年後に宮城まり子さんと知り合いました。
ということは、吉行淳之介さんには妻がいたんです。
それにもかかわらず、宮城まり子さんと交際していました。
正確には不倫関係ってことになるんでしょうね。
吉行淳之介さんがお亡くなりになるまで良い関係にあったようです。
結婚しているのではないか、お子さんがいるのではないかと噂されるのもそれだけ家庭的な人だということと、このような女性が世の中にいてくれるんだという男性の憧れもあるのではないでしょうか。
また、私生活では吉行さんととてもよい関係だったということからも、その関係がずっと続くために結婚しなかったのかもしれませんね。