2007年に結成のバンド、SEKAI NO OWARI(セカイ ノ オワリ)の初代リーダー兼ボーカルを担当しているイケメンミュージシャンの深瀬慧さん。
ステージの上では堂々としたパフォーマンスを披露している彼ですが、実はある病気を患った経験があるんだとか!
こちらではセカオワのボーカル、深瀬慧さんの精神病についてピックアップしたいと思います。
目次
深瀬慧が患った精神病
深瀬慧(Fukase)さんは、記憶喪失の副作用が出てしまうほど重いパニック障害と発達障害(ADHD)という精神病だったことが明らかになっています。
パニック障害やADHDは最近よく聞く病名ですが、具体的にはどのような症状なのでしょうか?
発達障害(ADHD:注意欠陥多動性障害)
ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)とは、日本語では「注意欠陥・多動症」という病名で自分をコントロールする能力が低い病気と言われています。
その病名通り「集中力が続かない」「忘れっぽい」「じっとしていることが苦手」「思いついた行動を行っても良いか考える前に行動してしまう」などの症状・特徴があるそうです。
深瀬さん自身もライブハウスに顔を出すことすら忘れてしまうほど普段から気が散りやすかったり、物忘れがひどい部分があることからセカオワハウスを作ってメンバー全員と一緒に住んでいるとのこと。
「メンバーには女性もいるのに一緒に住んでるなんて不思議…」なんて以前から思っていたのですが、こういった理由があったんですね〜。
また、深瀬さんはメンバー曰く「とても喧嘩っ早い性格」ということでこの辺もADHDの症状の一つなのかと思われます。
パニック障害
深瀬さんが患っていたパニック障害の症状としては、思いがけない時に突然息切れや動悸を引き起こしてしまうそうです。
そして、この発作が繰り返されるうちに発作に襲われることに対する不安感が生じ始め、人混みに行くことを恐れるなど毎日の生活に支障をきたすようになると言われています。
パニック障害は100人に1人の割合でかかるそうで誰でもかかる恐れのある病気とのこと。
深瀬さん以外にも星野源さんや堂本光一さんなどパニック障害になった経験がある芸能人は多いみたいです。
深瀬慧が「世界の終わり」と名付けるほど絶望した壮絶な過去
過去にはきゃりーぱみゅぱみゅさん(個性的な髪型やメイクが可愛い♪)や益若つばささんといった女性芸能人との交際報道が流れたりと華やかな恋愛遍歴の持ち主ということで知られている深瀬さんですが、実は学生時代はどん底のような生活を送っていたんです。
本当に世界の終わりのような体験を味わったからこそバンド名を「SEKAI NO OWARI」と命名したんですね。
中学時代・集団リンチに遭い、不登校に
深瀬慧さんは、中学生の頃に集団リンチに遭い、なんと骨がぐちゃぐちゃになってしまった過去があるそうです><
そしてこの後学校に行っても周りから完全無視されるようになり、引きこもりになってしまったんだとか…。
中学時代に体験したイジメは彼の中で大きなトラウマとなり、高校に進学するもののわずか一年で中退してしまいます。
アメリカンスクール時代、二週間で帰国
一年間で高校を中退した後も引きこもり生活を送るかと思いきや…!?
深瀬慧(Fukase)さんは渡米してアメリカンスクールに通うことを決意したそう。
きっと海外であれば自分にとって自然体で過ごしやすい環境が整っているはず…と高い理想と持って渡米したのでしょう。
しかしながら深瀬さんはパニック障害を引き起こしてしまい2週間で帰国することに。
会話がなかなか通じなかったり、文化の違いが彼の中で大きなストレスになってしまったのでしょう。
かなりの覚悟を持ってアメリカンスクールに通うことを決めたと思うのですが、それをたったの二週間で帰ると決めてしまうことも誰でも簡単にできないことです。
深瀬さんが抱えていたADHDは「ブレーキが壊れている」ともよく言われているため、良い意味でも悪い意味でも人並み外れた凄い行動力があるのではないかと思われます。
受験生時代、薬の副作用で勉強で参考書を遡るも記憶がない、予備校からの帰り道がわからない
出典:https://sekainoowari-rehabilitation.com/
パニック障害とADHDの二つの病気に悩まされていた深瀬さんは治療の一環として強力な薬を飲んでいたそう。
この薬の副作用によって記憶喪失に度々陥ることがあり、ひどい時は予備校からの帰り道もわからなくなってしまうことも…。
また、大学受験のために勉強を頑張っていましたが記憶からほとんど抜けて忘れてしまう状態だったため、大学受験の夢は諦めることとなります。
その時はただただ絶望しかなかったそうですが、治療を進めていくうちに深瀬さんは精神科医の道を目指したいと思うように。
徐々に前向きになり始めた深瀬さんは分数の足し算などから勉強を始め、二年間ぐらいかけて大検を取ったりしていたそうです。
結果的に精神科医にはなれなかったものの、ミュージシャンとなった現在、多くの人々の心の支えとなっているのである意味彼の夢は実現しているのではないでしょうか?
音楽を聞いていると「人生辛いこともあるけど、また明日も頑張ろうかな〜♪」という気分に不思議となるものですし、実際にセカオワの音楽を聞いて救われたと言っているファンも沢山いるみたいですからね。
音楽の力って偉大だな〜と思いました^^
深瀬慧は過去に精神病院・閉鎖病棟に入院
深瀬慧さんはアメリカから帰国後、精神病院に入院しながら病気(パニック障害&ADHD)の治療をしていました。
自殺患者が出ないよう鉄格子で覆われた閉鎖病棟にいたそうなので深瀬さんが抱えていた症状はかなりひどかったんでしょうね…。
彼は2015年2月10日に出版した著書にて
「夢も希望も失い、友達もいないし学力もないし、何もない」
「あるのは出られない部屋と泣いている家族だけ」
「それしか残っていない状態から始めているんで」
とこの時に感じた心境について綴っています。
まさにどん底の状態に陥った深瀬さん…入院中は余計にも暗く考えてしまうものですし、辛くて辛くて心が張り裂けそうだったと思います><
だけど人間は一度どん底に落ちると「絶対にこの状況から抜け出してやる!」と逆に精神的に強くなると言いますからね。
今思い出すだけでもすごく辛い過去だと思いますが、学生時代にこう言った経験があったからこそミュージシャンとして素晴らしい成功を収めているのかもしれません。
深瀬慧が入院していた病院はどこ?
深瀬慧さんは以前、過去の自分と向き合うという企画に取り組み、この映像をDVDとして販売したことがあります。
公開されたトレーラー映像には彼が入院した病院に向かっているシーンがあるのですが、この時に向かった病院は「東邦大学医療センター大森病院」ではないか?とネット上で言われています。
東邦大学医療センター大森病院は深瀬さんの地元、東京都大田区にある病院でこの病院にも閉鎖病棟があるみたいです。
深瀬慧が乗り越えることができた理由
深瀬慧(Fukase)さんがパニック障害とADHDを克服できた理由…それは音楽で成功したことです。
深瀬さんは全てに絶望していた中に唯一残った音楽だけをやるしかない状況へ自分を追い込むべく、手作りのライブハウス(メンバーとのシェアハウス)を創設します。
自分の人生の全てを音楽にかけた結果、才能をどんどん開花し音楽で偉業を成し遂げることができたのです。
これまで勉強に人間関係、海外留学などすぐに挫折の道を選んできたからこそ、絶対に音楽をやめられない環境を自ら作ったのでしょうね。
そして、何より思いやりのあるメンバーに恵まれたことも深瀬さんが病気を克服できた大きな理由の一つです。
過去にインタビューでギターのNakajinさんは「彼は俺がいないとダメだから」と語り、キーボードのさおりちゃんも「深瀬の夢を叶えることが私の夢」と語っています。
人間って普通自分のことを優先的に考えるものですが、誰かのことを一番に思えるって凄いことですよね。
それほど深瀬さんには他人を惹きつける素晴らしい魅力があるのでしょう。
ちなみに、ADHDは事務や管理職といった普通の会社員の仕事ではかなり苦労するそうですが、芸術家や音楽家に向いていると言われています。
もしかするとあなたが普段から仕事を教えても失敗ばかりしている会社の同僚や後輩はADHDを患っており、本当は非常に優れた能力を秘めているのかもしれませんよ◎
こちらではSEKAINOOWARIのボーカルを担当している深瀬慧さん(身長:168cm)が体験した壮絶な過去についてお届け致しました。
また、深瀬さんの交際相手として注目を集めている益若つばささんですが、インスタやツイッターに投稿済みの深瀬さんの写真を少しずつ削除しているとのこと…。
一時期は結婚の噂が流れていたものの、破局でもしてしまったのでしょうか?><
ただ、今のところはっきりした情報は流れていないため、アンチファンを刺激しないためにそのようにしているのかもしれませんね。
最後までご覧頂き有難うございました^^