福本清三さんについてご紹介します。
福本清三さんのプロフィールについて
生年月日:1943年2月3日
出身地:香住町
身長:172 cm
受賞歴:日本アカデミー賞 協会特別賞福本 清三は、日本の俳優。兵庫県城崎郡香住町出身。
血液型はB型。本名は橋本 清三。東映京都撮影所所属。
50年以上に渡り、時代劇・現代劇を問わず「斬られ役・殺され役」を演じてきたことから、「5万回斬られた男」の異名を持つ。
主人公がそのドラマや舞台において輝き続けるためには脇役がしっかりと活躍しなければなりません。
それを考えるときに時代劇でいきなり役としてずっと敵役を続けてきた福本さんは、影の名優といえるでしょう。
ほとんどの作品に彼は出演しているものの目立たないのですが、縁の下の力持ちとして活躍してきたことは間違いありません。
斬られ役として
斬られ役がハリウッド映画に出演したことで「たとえ華やかな仕事でなくても、真面目にコツコツと働いていれば、いつかは評価される」と他の大部屋俳優や無名な俳優から憧れの的となっているそうです。
こういう地道な仕事ぶりというのは、今ではなかなか評価されなかったり、途中で諦めたりする者が多いと思います。
その中で一つのことを信念をもって貫き通すというのはほんとに尊敬に値しますよね。
彼の仕事がなければ、主役は輝かない。
そして、ドラマや時代劇自体も良い作品にはならないということを考えると、いかに素晴らしい功績だということがわかります。
信念が彼を支えた
インタビューより。
大部屋俳優は、400人もいるんですよ。
その中からまずは殺陣師に名前を覚えてもらわないと立ち回りに呼んでもらえないから、少しでも目立って印象に残るようにとみんな必死でしたね。
ある人は自分の着物に名前を書いたり、映りもしないのに顔に傷描いてた先輩もいましたけどね。
僕の場合は、いろんな国の映画のアクションを観て、痛みの伝わる、目立つ倒れ方というのを研究していました。
ただ普通に斬られても目につかないから、斬られ方ひとつでもとにかく印象に残るようにと思って、そこは自分なりに大事だと思うこだわりを貫いていました。
正しいやり方だったかはわからないけど、誰か1人でも見てくれるように自分の信念みたいなものを信じてずっとやっていました。
やっぱり信念を持っている人は生き方がそもそもがかっこいいですね。
この仕事がすごいとかではなく、彼が一生懸命やることでこの仕事もすごいんだと認知させるのがすごいと思います。
結婚した嫁と息子について。
福本さんは25歳の時に奥さんの雅子さんと結婚されてます。
いわゆるできちゃった結婚だそうです。大部屋俳優との結婚で、ずっと貧乏暮らしだったそうですが、耐えて支えてきた奥さんで、今でも仲良しだそうですよ。
東映京都撮影所の近くに住んでいるそうです。
なんだかほっとしますね。仲がいいというのは。
では息子さんはどうでしょうか?
お子さんについて
子供についての情報は見当たりませんでした。
できちゃった結婚だし、おられるんでしょうが、息子か娘かも分かりませんでした。
奥さんが実際にいるということはこれではっきりしました。
とても仲がいいということも知ることができて嬉しい限りです。
しかし子供についての情報は残念ながら見つかりませんでした。
プライベートについてはあまり語りたくないという意味なのか、もしくは
お子さんができていないのかまではわかりません。
また息子さんか娘さんかもわからないということですので、お子さんの存在がいないのかもしれません。
松方弘樹との関係とは?
松方さんのプロフィールについて
生年月日:1942年7月23日
出身地:王子区
死没:2017年1月21日
身長:173 cm
松方 弘樹は、日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。
本名は目黒 浩樹。東京市王子区出身。
身長173cm、血液型はA型。左利き。
個人事務所である株式会社MARE所属。
明治大学付属中野高等学校卒業。
いろいろわざわざ書かなくてもこの人については、知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。
俳優としての活躍ももちろんのことながら私生活においてもとても豪快です。
彼を尊敬したり、彼を慕っている方が多かったのもうなずけるような気がします。
そんな松方さんと福本さんとはどのような関係があったのでしょうか。
2人の関係について
時代劇の名斬られ役として松方さんから「5000回は斬った」と言われた俳優・福本清三 (73)が「もう一度豪快に斬られたかった」と名優の死を悼んだ。
この日、京都市内の 映画館で出演作「ごはん」の公開2日目舞台あいさつ前に取材に応じた。
16歳で東映 京都撮影所に入社以来、「真田幸村の謀略」など数多くの作品で共演。
「お兄ちゃん」「 フクボン」と呼び合う仲だった。
新米役者時代、「初めて肉を食べさせてくれたのがお 兄ちゃん。
京都の店でステーキ200グラム。今も忘れられない」と懐かしんだ。
5000回も切られるということはそれだけ2人が共演していたということにはなりますし、切る側と切られる側とがはっきりとわかれていたからこそ、お互いがきちんとした演技をしなければ成り立たなかったと思います。
そういったあうんのような呼吸をするような感覚というのは、実際にその舞台に立って第一線で活躍しないとわからないことですよね。
プライベートでもニックネームで呼び合うぐらいですから松方さんを失った悲しみは私達には考えられないものだと思います。