村松英子さんについてご紹介します。
村松英子さんのプロフィールについて
村松 英子は、日本の女優・詩人。東京都出身。
身長162cm、体重50kg。
父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。
実兄は文芸評論家の村松剛。
兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。
再従兄弟に当たる夫の南日恒夫は南日恒太郎の孫
上のプロフィールを見ただけでも、今の若い人にとってはびっくりするぐらいの人だと思います。
今の若い者はどういった人なのかよくわからないとは思いますが、これから順に説明していくにつれて彼女がいかにすごいかということがお分かりいただけるのではと思います。
三島由紀夫について
彼女は三島さんの弟子と言う事ですが、では三島さんとはどういう人かを簡単に見ていきます。
三島 由紀夫は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・大蔵官僚・皇国主義者。
血液型はA型。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である。
三島さんの名前を知らない日本人は少ないのではないでしょうか。
もちろん作家としての名前も有名ではありますが、それ以外にもすごくセンセーショナルな事件がったからです。
晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。
1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。
バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた
また、かなりショッキングなことであり、大々的に報じられたこと。当時はまだ撮影に対して制限がなかったので彼の姿なども露骨に表現されていて、かなりショックををうけていたかたなど多かったのではないでしょうか。
弟子として
友人村松剛の妹ということに加え、確かに三島氏の好みに合った容貌と雰囲気を備えた女優さんだったのでしょう。
劇団を変わったいきさつなどを読むと、著者が三島氏についていき、励まされ、育てられたのはよく理解出来ます。
他の役者から見ればうらやましいような恵まれた環境です。
しかも、三島氏の後ろ盾があれば、周りからの批判も出しようがなかったでしょう。
この環境で彼女は才能を伸ばしていったのでしょうね。
また、2人の関係が分かる著書からは
著者である村松さんと三島さんの関係が演劇上の師弟関係を越えて恋人同士の永遠の詩になっています。
三島さんが虜になった村松さんの才能が文からだけでなく、ふんだんに盛り込まれた写真の気品のある容姿からもわかります。
公の場でやりとりされた、「三島先生は私の太陽です」「英子って何て可愛いんだ」が二人の関係を物語っていると思いました。
彼女が若干20歳すぎの時に三島由紀夫さんが自決したのですから。それは卒倒するような出来事だったにちがいありません。
彼女にとっては人生を失ってしまったのと同じです。
もうすごい出来事だったと思います。
そしてその彼女のことを思いつつなくなっていた三島さんの遺志が女優としての道をつなげていくことになるのです。
旦那は誰?
再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎の孫にあたる。
村松英子の旦那として記載されているものはほとんどない。
ほとんど旦那さんに関する情報はありませんでした。
ただ、親族はすごい人ばかりですので、そちらのほうが記載されている物が多かったです。
南日恒太郎について
弟には、それぞれ別の田部家に養子へ出た田部隆次(英文学者)、田部重治(英文学者)がいる。
「南日三兄弟」と称される。子には、南日凱夫(英文学者)、南日俊夫(海洋学者)がいる。
凱夫は旧制熊谷中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)教諭、東洋大学教授、法政大学教授を歴任した。
俊夫は気象庁気象研究所海洋研究部長、日本海洋学会会長(1979年 – 1982年)を務めた。
俊夫が海洋学を志すきっかけは父を海難事故で失った事によると言われている。
孫の一人は、工学者で筑波大学元副学長・名誉教授の南日康夫。
康夫の妻のいとこは作曲家の田中正史である。
その業界では名前が知れた人たちばかりですね。
また、珍しい苗字である点も余計にそう感じるのかもしれません。
娘や息子について。
早くに父を亡くした娘のえりは、幼い頃から「おじさま」と私を呼びつつ美しく育ったが、かつて母親の村松英子が、私のところにやってきた年頃になってきた。
私から見ると、母親そっくりの顔立ちと声になっており、このまま芝居をつづけてほしい気持ちもあるが、いい男性を見つけて、結婚してほしい気持ちもある。
と記述されています。
お母さんにそっくりなんですね。
息子については作品の中に出てくるものではないか。
それが村松さんの息子だと思われているのか。
息子さんについては、記述が有りませんでした。
もしかしあたら村松さんに娘さんだけでなく、息子さんがおられたかもしれませんが、記述はありませんでした。