今回は現役最高齢のアナウンサー・押阪忍さんについて調べました。
1935年2月28日生まれの2018年現在83歳のアナウンサーです。
声が聴きとりやすいと評判ですが、私生活はどのような感じなのでしょうか。
押阪忍について
『押阪』という姓は珍しく、ルーツは飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)だとされています。
昔は皇族だったのですね、今も豪邸に住まれているとのことでしたので、元々の育ちが良いのではないでしょうか。
押阪忍さんは1958年に日本教育テレビ(現テレビ朝日)に入社されました。
1971年に退社後、個人タレント事務所「エス・オー・プロモーション」を立ち上げ独立し、現在代表取締役会長。
数々のテレビ番組で司会を務め、さらにCMでも活躍した。
所属タレントには「めざましテレビ」で活躍されていた中村まりさんや、西野七海さん等がいらっしゃいます。
また「エス・オー・プロモーション」が運営するトークアカデミーの塾長としてアナウンサーや司会者の養成活動をされていらっしゃるそうです。
TBS「日曜劇場」が東芝1社提供で放映された時のタイトルクレジットコールも長年担当した一方で、同番組内では東芝の家電製品のインフォマーシャルも担当し、松下電器の泉大助、日立の高橋圭三と共に1960年代から1970年代にかけて❝家電CMの顔❞として親しまれた。
アナウンサーだけではなく、タレントとしてのお仕事もされていたようですね。
どっきり企画で仕掛け人役をされたこともあるようで、とてもユーモアに溢れている方のようでした。
また2017年にはNHKの連続テレビ小説『ひよっこ』で本人役として登場されていました。
苦学生だった
家系が凄い押阪忍さんですが、ご本人は苦労されていたようでした。
押阪さんは5人兄弟の末っ子ですが、母と兄弟を早くに結核で亡くされ、小学3年生から父と2人の生活だったそうです。
立教大学に進学し上京後は出羽海部屋の書生を務めるなど苦学生でした。
とのことでした。
また、アナウンサー生活は杉並区の都営住宅からだったそうで、現在の豪邸を建てるためにはかなりの努力をされてきたと思われます。
押阪忍さんは花や緑が大好きでご自宅の周りも四季折々の花が咲いている場所とのことです。
見た目や声もそうですが、穏やかな心優しい方という印象ですね。
そんな人柄だったこそここまでの人気になったのだということでしょう。
嫁は栗原アヤ子
押阪忍さんは1963年にタレントでフリーアナウンサーの栗原アヤ子さんと結婚されています。
栗原アヤ子さんは1959年に『味の素』初代専属タレントとして活躍されていました。
結婚されてからもテレビ、ラジオ、イベントの司会などに出演されていたそうです。
現在は押阪忍さんが立ち上げた「エス・オー・プロモーション」の取締役副社長をされておられるそうです。
息子が二人
押阪忍さんと栗原アヤ子さんの間には息子さんが2人いらっしゃいました。
長男・押阪雅彦
長男の押阪雅彦さんは「DJ・OSSHY」として活躍しているかたわら、押阪忍さんの後を継いでエス・オー・プロモーションの社長をされています。
実は、いま「第3次ディスコ・ブーム」が起きていますが、押阪忍さんの息子さん押阪雅彦さんがDJ OSSHYとして仕掛け人なんだそうです。
DJ歴は36年になるそうですが、はじめは父・忍さんに猛反対されていたようです。
当時のDJに見られた不良っぽいイメージから独立に反対していたため、2016年頃までの活動では忍の息子であることを公表していなかった。
DJとして企画した「三世代ディスコ」などでの仕事ぶりも忍から認められたため、2017年に高齢者や認知症患者向けのDJイベントを企画したことを機に、高齢者への知名度が高い両親の名前を公に出すようになった。
反対されていた時は、口もきかないほど険悪だったとのことです。
しかし活動内容が認められ、無事に仲直りされたようですね。
DJやイベントといえば若者向けという印象ですが、高齢者向けイベントもあるとのことで、内容が気になります。
「徹子の部屋」で親子でテレビ出演もされています。
また、父・忍さんは1964年の東京オリンピックで女子バレーボールの決勝戦の実況で日本を盛り上げました。
雅彦さんは2020年の東京オリンピックをDJで盛り上げようとしているそうです。
東京オリンピックは特別なイベントとなることでしょう。
次男・押阪智彦
次男の智彦さんは「エス・オー・プロモーション」の監査役としてお仕事されているみたいです。
智彦さんについてはこれ以上の詳しい情報もなく、また写真等もありませんでした。
タレント育成事業やその他庶務等なにかと忙しそうですね。
現在病気なの?
押阪忍さんは2009年に大腸がんの手術を受け、治療が終わりかけた時に腹部に大動脈瘤が見つかりました。
2017年12月に手術を受けた際、麻酔を長い管で喉から通したため、アナウンサーの命、声帯を傷つけ一時的にしゃがれ声になってしまったそうです。
それでも妻の栗原アヤ子さんの献身的な看病で大病を克服し仕事復帰をされました。
「ひよっこ」出演で話題になった直後でしたので、世間は騒然としましたね。
妻も病気を患っている
押阪忍さんの2度の大病を側で支えてきた栗原アヤ子さんですが、栗原アヤ子さんも実は病気を患っていました。
1993年には喘息のような症状が現れ、風邪をこじらせたと思っていたそうですが、ラジオの本番中に呼吸困難になり緊急入院。
3か月後病名が判明、「肺スエヒロタケ感染症」という病気だったそうです。
肺スエヒロタケ感染症とは、スエヒロタケというキノコの菌糸が肺に入ってしまい、肺の中で繁殖してしまうという病らしく、世界でもめったにみられない病気なんだとか。
スエヒロタケは公園など様々な場所で自生しているキノコで、通常は感染することはないとのことですが、極端に免疫力が落ちている時に限り、ごく稀に感染することがあるようです。
世界でも例が少ない病気のため治療法も確立されておらず、現在も闘病中のアヤ子さんの為に押阪忍さんはたくさんの植物を育て、花に囲まれた家にしているそうです。素敵ですね。
順風満帆とは言えないかもしれませんが、とても幸せそうな押阪忍さん一家でした。