ルビー・モレノの現在の画像。息子や娘の死について。隠し子がいたって本当?

1990年代に当時としては珍しい外国人女優として活躍したフィリピン出身のルビー・モレノさん。ドタキャンなどお騒がせ女優としても有名でしたが、最近はどうしているのでしょうか。その後のルビー・モレノさんについて紹介します。

 

映画「月はどっちに出ている」でブレイクしたルビー・モレノ

ルビー・モレノさんは、1993年に映画月はどっちに出ているで大ブレイクしました。
『月はどっちに出ている』は崔洋一監督、主演は石橋凌さん(ドラマ版)、岸谷五朗さん(映画版)、ルビー・モレノさん。

タクシーの運転手を務める在日コリアンの男と日本で逞しく生きるフィリピン女性との恋愛模様を軸に、在日外国人やヤクザなど、様々な人々の人生を描くヒューマンドラマで、ルビーモレノさんはこのフィリピン女性役として出演し、この映画で、たくさんの賞を受賞し、一躍、時の人となりました。

第36回 ブルーリボン賞 最優秀主演女優賞
第17回 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
第67回 キネマ旬報 最優秀主演女優賞
第48回 毎日映画コンクール 最優秀女優主演賞
第18回 報知映画賞 最優秀主演女優賞
第3回 東京スポーツ映画大賞 主演女優賞
第3回 日本映画批評家賞 特別賞
第19回 おおさか映画祭 最優秀主演女優賞
第15回 ヨコハマ映画祭 最優秀助演女優賞
第8回 高崎映画祭 最優秀助演女優賞
第3回 北野武映画祭 女優賞

数々の賞を受賞されてるすごい方なんですね。

 

フィリピンに逃げ帰ってしまったルビー

一躍大女優に登りつめたルビー・モレノでしたが、
そのすぐ後に経歴詐称や相次ぐ仕事のドタキャンで表舞台からあっという間に
姿を消してしまいます。

期せずして訪れた“わが世の春”。
ところが、彼女には事務所にも隠していた過去があった。当時、ルビーはプロフィールを「旅行会社のOLの時に日本を旅行していてスカウトされた」「結婚歴なし」などとしていた。
ところが、実際の彼女は18歳の時から都内のフィリピンパブで働いていた元ホステスで、2度の結婚と出産を経験していたのである。
映画賞での快挙は、文字通り地でいく“演技”の賜物だったわけだが、ほどなく、ウソの経歴が週刊誌で取り上げられ、ルビーには厳しい批判が殺到した。

すぐに釈明会見を開いたものの、すっかり世間の風向きは変わっていた。
バッシングは過熱の一途を辿り、その最中に仕事のドタキャンや事務所との金銭トラブルなど、日頃のルビーの行状が次々暴露されたのだ。

ルビーが祖国に逃げるように帰ったのは、95年9月のこと。
日本に居場所を失った彼女にとって、頼る相手はフィリピンの家族しか残されていなかったという。

精神的に耐えられなくなってしまったのでしょうか?しかしそうなってしまうのも理解できますね。

 

子供は?

ルビーモレノさんには娘さんと息子さんの2人が隠し子がいると当時報道されました。

ルビー・モレノさんはフィリピンの旅行会社に勤務し、たまたま日本に遊びにきていたところをスカウトされたことになっていました。
ところが、フィリピンに2人の隠し子がいてバツ2であることが発覚。
世間は騙されたと大騒ぎになりました。
ルビー・モレノさんは隠すつもりはなく、言う機会がなかっただけと釈明。
しかし、事務所には抗議の電話が殺到しました。

なんでも言わないと批判されるのが芸能人の宿命なのでしょうか・・・。

 

娘さんは・・・

記者会見で明らかになった隠し子の存在ですが、娘さんは重度の障害があったようです。

1983年に、18歳でフィリピンを出て日本に出稼ぎに来たルビー。
その後1988年(23歳)に日本人男性と結婚、長女・リズちゃんを出産した。

しかし、リズちゃんには生まれつき「脳性マヒ」の障がいがあった。その後この男性と離婚。

しばらくは、リズちゃんを母国フィリピンにに預け、自身は日本で仕事を続けていたが子どもをフィリピンに置いたままにしておくことに耐えられなくなり、1995年帰国。
その時に抱えていた仕事をドタキャンし、フィリピンに帰っていった。これがドタキャン騒動の理由。

フィリピンに帰国後、娘を介護する日々は続き、やがて10歳でリズちゃんは永眠した……。

ドタキャンした真相に子供が関わっていたんですね。

 

息子さんは・・・

2005年に上映された映画『逆鱗組七人衆』という嵐山 光三郎原作・市川 徹監督の作品で、ルビー・モレノさんが、長男の近藤ケイさんと共演し、ルビーさんは復帰しました。

 

共演した時のルビーさんのコメントは

「彼はまだ役者としてやっていく決心をしたわけではないけど、興味はあるみたい。私はこの世界の大変さを知っているから勧めはしないけれど、本気でやっていくなら応援はします」と胸中は複雑なようだ。

「今回の作品では、ヤクザの世界に生きる女を演じています。本当のヤクザのことは知らないけれど、映画の中のヤクザはホントは心の優しい人たち。ちょっと憧れちゃうところもあるかも、ふふふ」

メガホンをとった市川徹監督は「日本人以上に日本人の心を持った外国人」と高く評価する。すでに続編の話も持ち上がっており、ルビーにとって本格的な復帰作品となりそうだ。

フィリピンへ突如帰国し、お騒がせだったルビー・モレノさん。娘さん、息子さんは死亡したということもなく、ルビーさんにとって復帰のきっかけになったりと
とても大切なご家族なのかもしれません。

 

最近は?

あれから長い歳月が過ぎ、現在ルビー・モレノは、2000年に日本人商社マンの男性と4度目の結婚。普通の主婦として東京足立区で暮らしている。

今は、解雇された稲川素子事務所に戻り、女優として活動しているが、仕事は月に1本程度。副収入として地元足立区で子ども達に演技指導をし、今後は亡き娘のために女優として再起を誓っていた。

最近はドラマの仕事も入り、再び演技ができる喜びを噛み締めているそうだ。

「撮影の日の朝、ロケバスに乗って“おはようございます!”って挨拶をするでしょ。そしたら、女優に戻れたんだっていう嬉しさに涙がポロポロ出てくるの。やっぱり私、女優の仕事が好き。これからはもっともっと、テレビにも出て行きたいと思ってるよ」

名声、財産、順調だったキャリア……。その喪失感を噛み締めるように語る様は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。

壮絶なブレイクから、お騒がせ失踪へといろいろなことがあったルビー・モレノさんですが、今も少しずつドラマなどお仕事も増えているようです。

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