山田五十鈴の娘は?若い頃がキレイで遺産がヤバイ!

今回は、山田五十鈴さんについて、ご紹介したいと思います。

山田五十鈴の娘は?

大女優・山田五十鈴の娘として生き、逝った嵯峨三智子

日本の大女優・歌手である山田五十鈴(やまだいすず)さんの娘は、同じく女優の道を歩んだ瑳峨三智子さんです。

嵯峨美智子は1935年3月1日、京都府京都市生まれ。父は戦前の二枚目俳優として鳴らした月田一郎、母は言わずと知れた大女優の山田五十鈴。40年、両親が離婚し、彼女は父のもとに引き取られ、(山田は親権をめぐって月田と裁判で争いますが、敗訴しました)東京市世田谷区へ引っ越しますが、45年9月27日に父がメチルアルコール中毒で、急死してからは父方の祖父母のもとで育てられました。

父親が亡くなった後も、母の山田五十鈴さんが嵯峨美智子さんを、引き取るということはなかったようです。

52年、父を知る映画界の人々の勧めで東映に入社し、嵯峨美智子の芸名で53年『旗本退屈男 八百八丁罷り通る』で映画デビューを飾ります。

いやー、美人すぎますね。

母・山田五十鈴と娘・嵯峨美智子の確執

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自分を棄てた山田を憎み撮影所で会ったときも母のことを「山田さん」と呼んでいたとされる。
そのわだかまりは、瑳峨が山田より先に死を迎えるその日までついに消えなかった。

自分を棄てた母と同じ女優の道を辿った嵯峨美智子さん。撮影場所で大先輩である母に会った時の彼女の心境は、はかり知れないものがあったことだと思います。

嵯峨美智子さんはなぜ母と会ってしまうかもしれない女優になったのか、毛嫌いしているのであれば、きっと同じ女優にはならなかったはずです。「お母さん」と呼ぶには相当の勇気があったのではないでしょうか。

素晴らしい女優資質を持ちながら、それを充分に生かせず仕舞いのまま、平成4年(1992)8月に旅行先のバンコクでくも膜下出血のため急死しました。

亡くなっていなければ、もっと活躍していたでしょうね。

娘の最後、2週間あっても駆け付けなかった母の心中とは

一九九二年夏、旅行先のタイで、くも膜下出血のため客死。
約二週間入院したが、遺骨となって帰国するまで、山田が駆けつけることはなかった。

母と同じ女優を目指した嵯峨美智子さんが異国の地・タイで危篤となった時、彼女はどんなに不安だったことでしょうか。「最後に一目でも母に会いたい」そう思っていたのかもしれません。しかし母は非情にも娘のところへ駆けつけるということはありませんでした。

若い頃がキレイで遺産がヤバイ!

山田五十鈴さんの若い頃はため息がでる程の美人だった!

母子の確執が取りざたされている山田五十鈴さんですが、彼女の人生はまさに波乱万丈で、結婚と離婚を繰り返すという、恋多き生き方を全うすることになります。

若い頃の山田五十鈴さんは、その画像を見れば一目瞭然、とにかく正統派の美人なんです!

山田五十鈴は、1917年生まれ。2012年に、95歳で波乱の生涯を終えています。

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彼女が余りにも美しかったからだったのか、山田五十鈴さんは多くの男性と噂を残し、2012年、今からたった5年前に、95歳という長い人生の幕を閉じました。それは確執のあった娘、嵯峨美智子さんより20年も長く生きた生涯でした。

山田五十鈴は、かつての人気時代劇「必殺仕置人」で、三味線引きの女仕事人を妖艶に演じて、往年の大女優としての貫禄を見せつけました。

山田五十鈴が、水谷八重子・杉村春子とともに日本の三大女優

山田五十鈴は、30代から40代にかけての女盛りを華々しく過ごしますが、この時期は、女優としての充実期でもありました。
小津安二郎「東京暮色」、黒澤明「蜘蛛巣城」「どん底」、市川崑「ぼんち」など、戦後の名監督全てと仕事を共にしたといっても過言ではありません。
1960年以後は、本格的に舞台に進出。水谷八重子や杉村春子とともに、日本の三大女優と呼ばれるようになります。

自分の生き方を全うした山田五十鈴さん、女優としてあぶらの乗り切った1960年以降は、水谷八重子さんや杉村春子さんとともに、日本の三大女優と呼ばれるようにまで、その地位を上り詰めて行くのです。

この頃は、恐らく仕事と自身の恋愛で頭がいっぱいだったはずです。
その間、娘のことなど思い出すことはあったのでしょうか。
もしかしたら、その逆で、娘会いたさに、彼女は仕事に夢中になっていたのかもしれません。
自分の気を紛らわせる為に、誰かを愛した・・・そんなふりをしていたのでしょうか。

戦前に月田一郎と別れた山田五十鈴は、戦後、衣笠貞之助監督と同棲の後、新劇出身の加藤嘉と電撃結婚。1954年に離婚し、またすぐに俳優の下元勉と結婚しますが、数年で離婚しています。

1999年、82歳の時に受けたインタビューでは、次のように自身の恋愛観について語られています。

“遍歴”なんて、なんか聞こえが悪くて。惚れて好きになったら、隠すなんて…。
その人のそばから片時も離れたくない。愛が無くなったら、こちらから別れました。
悔い? そりゃあ、ある人も、ない人も。
でも、別れても、その方の悪口を言ったことはありません。
ある時、誰よりも好きだった人なんですもの

山田五十鈴さんという女性は、女優や恋愛には向いていても、
家族とか、お母さんというものには向いていなかったのかもしれません。

遺産の噂は本当!?自宅は帝国ホテル

晩年、山田五十鈴さんが某記者からインタビューを受けた際、次のようにコメントを残しています。

「帝国ホテルは定宿…いや今や自宅と一緒よ。便利なの」

晩年、山田五十鈴さんは帝国ホテルを自宅のように利用するくらい、多くの資産を保有していたようです。
上の写真は82歳の時の山田五十鈴さんですが、歳を重ねても背筋がシュッとして、大変素敵な方だったのではないかと想像できます。

女優としては初めての文化勲章を受章

2000年(平成12年)に女優としては初めての文化勲章を受章した。

2000年には女優としては初めての文化勲章を受章した山田五十鈴さん、天皇陛下から受け取ったその勲章は大変名誉なものでした。

95歳の初夏。お通夜で拝したお顔は綺麗で安らかだった。
生前、葬儀のために、費用を付き人さんに託し、「香典も花も受け取らず、華美にしないでほしい」と託していた。

彼女の最後の去り方を振り返ると、「華美にしないでほしい」という言葉が、彼女の本当の心を物語っていたように思えてなりません。

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