【サラブレッドが過ぎる!ww】萬屋錦之介の家系図と女性遍歴がヤバイ!?息子は4人!

今回は、昭和を代表する銀幕のスター・萬屋錦之介さんについて紹介します。

萬屋錦之介のプロフィール

  • 本名:小川錦一
  • 旧芸名:小川矜一郎(おがわ きんいちろう)、中村錦之助(なかむら きんのすけ)
  • 愛称:錦ちゃん(きんちゃん)
  • 生年月日:1932年11月20日
  • 没年月日:1997年3月10日(満64歳没)
  • 身長:162㎝
  • 学歴:暁星小学校⇒松沢国民学校(疎開)⇒旧制暁星中学校中退
  • 名歴:1.初代中村錦之介→2.萬屋錦之介
  • 出身地:京都府京都市中京区

萬屋錦之介さんは、主に映画俳優として活躍されました。この写真は、1954年当時のものです。キリっとした男前だったんですね。

 

美空ひばりさんの相手役としてデビュー

歌舞伎の世界では、2人のお兄さんが主に活躍していたため、なかなか役がまわってこなかったそうです。

そんな時、錦之介さんはあの美空ひばりさんの相手役を探していた事務所にスカウトされ、銀幕デビューを果たします。他の歌舞伎役者からの抗議など苦労もありましたが、結果的には大成功。

またたくまに昭和のスターのひとりにまで駆け上がりました。

萬屋錦之介の家系図がヤバイ!

俳優とはいえ、錦之介さんはもとは歌舞伎の人。このようにちょっと複雑な家系図があります。

この画像だけだとすこし分かりにくいですが、真ん中に「中村時蔵」の名前があり、その下が五つに別れているのが見えると思います。その左から二番目に錦之介さんの名前があります。

ひとりだけ「中村」ではなく、屋号である「萬屋」になっていますよね。

 

なぜ、一人だけ苗字が違うのか?

錦之助さんは生前、母・小川ひなさんから父や早世した兄の名跡である「中村時蔵」を襲名してその五代目となるように再三懇願されたが、本人は拒否を貫きました。錦之助の名は本名の「錦一」に由来するもので、過去での歌舞伎に由来を持たない、まったく本人独自のものです。もちろん初代です。この名を歌舞伎・映画俳優時代を通じて名乗り続け、1972年に萬屋錦之介と改名したのでした。

歌舞伎の世界では、親の名前をそのまま引き継ぐのが慣例ですが、それもしたくなかったようですね。兄弟の中でも、ひとり早々と歌舞伎の世界を去って映画スターになったこともあってか、とにかく独自性を持ちたかったのかもしれません。

兄弟、縁戚がヤバい!

萬屋錦之助さんは10人兄弟(5男5女)の4男として誕生しているのですが、歌舞伎役者(お父さんが三代目中村時蔵さん)の家だったため、男兄弟は全員、有名人です。

まず、長兄は、二代目中村歌昇(なかむら かしょう)さんで、三代目中村種太郎として活躍していました。しかし、幼少期から体が弱く、時期は不明ですが、持病の悪化で歌舞伎役者を引退。本名の小川貴智雄(おがわ きちお)として、シナリオ作家(脚本家)や監督に転身。1973年、48歳の若さで他界されています。

次兄は、四代目中村時蔵さん。休みがない公演が続いたことで疲労がたまり、睡眠薬への依存が増し1962年、34歳という若さで睡眠薬事故のため急死されました。

三兄は、初代中村獅童(なかむら しどう)さん。歌舞伎役者として活動されていたのですが、先輩役者から弟の芸をなじられたことに怒り、被っていたかつらを投げつけ、歌舞伎役者をやめてしまいます。その後銀行員を経て「東映」のプロデューサーとして、弟の萬屋さんと中村嘉葎雄さんをバックアップしていました。2008年、79歳で胃ガンのため他界されています。

唯一の弟は、中村嘉葎雄(なかむら かつお)さん。映画「いま、会いにゆきます」(2004)、「特別企画 終戦60周年記念 実録・小野田少尉 遅すぎた帰還」(2005)、「JNN50周年記念 歴史大河スペクタクル唐招提寺1200年の謎〜天平を駆けぬけた男と女たち」(2009)では、甥の二代目中村獅童さんとも共演されています。

そのほか、二代松本白鸚さん、二代中村吉右衛門さん、十一代市川海老蔵さん、十代松本幸四郎さん、松たか子さん、富司純子さん、七代尾上菊五郎さん、寺島しのぶさん、初代中村隼人さん、五代尾上菊之助さんらも縁戚にあたります。

 

萬屋錦之介の女性遍歴もヤバイ!

萬屋錦之介さんは、なんと生前3回も結婚しています。

 

一回目の結婚:有馬稲子さんと

錦之介さんは、女優の有馬稲子さんと1961年に結婚しました。

こちらが結婚式当時の画像です。白黒に時代を感じますね。

お二人は、映画雑誌「近代映画」の対談で知り合い、交際に発展したそうで、錦之介さんのプロポーズで結婚されているのですが、当時、すでにトップスターだった、お二人の結婚式は華やかで、ウエディングケーキは、なんと2メートルもの高さだったとか。

当時としては破格の結婚式だったようです。周りもうらやむカップルだったでしょう。しかし、ふたりはたったの4年で離婚してしまいます。

離婚原因

  • ①有馬さんが梨園のしきたりの厳しさについていけなかったこと。
  • ②錦之介さんが毎日のように自宅で宴会を開いていたため、有馬さんが料理などの用意に追われていたこと。
  • ③錦之介さんのお母さんの存在が大きく、錦之介さんだけではなくお姑さんの顔色もうかがわなければいけなかったこと。

以上のことが原因ではないかといわれています。確かに、歌舞伎の家系の人と結婚すれば「梨園の妻」になるわけですから、その負担は計り知れないものがあるでしょうね…。

 

二回目の結婚:淡路恵子さんと

そして有馬さんとの離婚の翌年、1966年には、同じく女優の淡路恵子さんと再婚しました。

淡路さんとのツーショット。ふたりとも楽しそうですね。淡路さんとはお子さんもふたり設け、仲も良かったのだと思われますが、1986年に離婚します。しかも、主な原因は三回目の結婚相手との不倫でした…。

 

三回目の結婚:甲にしきさんと

甲さんとは、淡路さんとの結婚生活中から不倫関係にあり、しかも淡路さんと甲さんは同じ宝塚出身で友人関係だったとか。まさに修羅場ですね…。そしてついに、1990年、錦之介さんは甲さんと再々婚しました。

甲さんとのツーショットです。甲さんとは、錦之介さんが亡くなられるまで一緒でした。

萬屋錦之介の息子について

錦之介さんは、淡路さんの連れ子ふたり(長男、次男)と、さらに淡路さんとのあいだに実子をふたり(三男、四男)設けて、あわせて四人の息子さんのお父さんでした。

息子さんの写真がありました。中央は淡路さんですね。ちなみに、混同されやすいですが、歌舞伎俳優の初代中村隼人さんは、二代目中村錦之介さんの息子さんです。

イケメンですね。

 

長男について

長男は俳優の島英津夫さんです。

お父さんと同じく映画、テレビドラマで活躍されています。

 

次男について

次男は一般の方です。それもあってか情報はありませんでしたが、きっとご健在なのでしょう。

三男について

三男(実子としては長男)は、俳優として活躍されていた小川晃廣さん。実はもう既に亡くなられています。

1990年7月、実子の晃廣さんが、バイクで帰宅途中、タクシーと正面衝突してしまい、22歳の若さで帰らぬ人に。

無念なことに、事故でこの世を去りました。

 

四男について

四男(実子としては次男)は、俳優としても活動していた哲史さん。

錦之介さんの死後、2010年には、もう一人の実子の哲史さんが自殺。
哲史さんは、両親の離婚後、精神的に不安定になると、10代の頃からアルコールに溺れるようになり、2004年には、更生のため住み込みで働いていた、京都のお寺から酒代欲しさに仏具を盗み、窃盗罪で懲役1年6月、執行猶予3年を受ける。
さらには同年、かつて一緒に住んでいた、お母さんの淡路さんの留守中に金品を物色していたところを、淡路さんに見つかって通報され、1年の刑に服した。そして出所後、自立の道を歩き始めていた矢先の自殺だった。

こうやって見るとかなり壮絶ですが、哲史さんも色々と思うところがあり、苦しかったのだと思います。
錦之介さんが亡くなった後とはいえ、息子に自殺されるのは悲しいですよね…。

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