田宮二郎の息子の柴田光太郎の現在俳優してる?次男の病気って?

昭和の名俳優・田宮二郎さん。
その息子である柴田光太郎さんの現在や次男の病気、田宮二郎さんの死因などについて調べてみました。

昭和のスター・田宮二郎

代表作は財前五郎を演じた「白い巨塔」。
また、山崎豊子作品には映画「女の勲章」にも出演されています。

「白い巨塔」他キャストには、山本學さん、西村晃さん、中村玉緒さんなどが名を連ねています。
このドラマはのちに唐沢寿明さん主演でリメイクされました。

DVDも発売されており、Youtubeなど、ネットに動画もあがっているようなので気になる方はチェックしてみてください。

ちなみに「田宮二郎内科 長洲 田宮二郎内科 診察時間 田宮二郎内科 長洲町」キーワードにあがるこちらは、俳優・田宮二郎さんとは無関係です。

ブレイクするまで

に「ミスターニッポンコンテスト」で優勝し、1955年、大映に入社します。しかし、どこか日本人離れした二枚目ぶりはなかなか認められず、色悪のような役ばかりが続きました。

やっと脚光を浴びるようになったのは、1961年、勝新太郎と共演した「悪名」です。

一躍、大映のスターダムにのし上がった田宮二郎でしたが、いつまでたっても、扱いは昔の大部屋俳優のまま。

役者として圧倒的評価を得た田宮二郎は、1968年、宣伝ポスターの序列をめぐって、大映の永田雅一社長と対立。ついに大映を辞めます。

永田雅一社長は、当時の五社協定を持ち出して、田宮二郎が他社の映画に出ないよう露骨な圧力をかけました。しかし、田宮二郎は、テレビ界に活躍の場を見出します。

手始めが、1968年から自殺を遂げた1978年まで続いた「クイズタイムショック」。

彼の洗練された司会ぶりが、視聴者参加のクイズ番組を、上質のエンタテイメントショーへと昇華させ、その後のテレビ界では、司会者が、番組の重要な要素となりました。

そして、1973年の「白い影」や、翌年の「白い滑走路」など、白シリーズと呼ばれる一連のドラマで、田宮二郎のクールでスマートな魅力が爆発。
俳優として絶頂期を迎えます。

白い影で共演された山本陽子さんとは不倫関係も噂されていたようです。

衝撃の自殺

躁鬱状態であった田宮二郎さんは自殺をしてしまいます。
享年43歳という若すぎる死でした。

ドラマ『白い巨塔』の放映が残り2話となっていた1978年(昭和53年)12月28日の午前中、南青山のマンションに住む田宮夫人から連絡があり、田宮の付き人は体調を崩した田宮夫人の母親を病院に連れて行き、港区元麻布の田宮邸に戻ってから、そのことを田宮に報告する。

1階のキッチンでお茶を入れ、弁当と梅干しを載せたお盆を持って2階に上がり、寝室の前で声を掛けたが応答がなく、しばらくしてドアを開けると、彼はベッドの上に仰向けで横たわり米国パックマイヤー社製の上下2連式クレー射撃用散弾銃で猟銃自殺を遂げていた。

自殺の原因は?

2016年に田宮二郎夫人が語った自殺の原因は…。

過密スケジュール、心労が田宮の身体を蝕み、異変が表面化していく。現場で異常な言動を重ね、家庭内でもささいなことで激昂するようになったのだ。

旧知の精神科医・斎藤茂太に診断されたのは「うつ病」だった。
さらにその病に乗じるように田宮に怪しい人物たちが接近してきた。
「M資金」を吹き込む者や、「トンガのウラン採掘権」などをささやく者――。

「まともな状態であれば田宮もそうした話に乗ることはなかったと思う。
精神が壊れていく過程にあって、ありもしない詐欺話にのめり込んでいったのです」

金策のために土地の権利書や実印を持ち出そうとする田宮とそれを止めようとする幸子夫人の間でケンカが絶えなくなり、田宮はいつしか夫人を目の敵にし始めたという。

「ある日、胸ぐらをつかんで階段から突き飛ばされそうになった時は、このままでは殺されてしまうと思いました」

こうした田宮の状況を見て長期療養させることを決断した幸子夫人だが、しかしそこに舞い込んだのが『白い巨塔』のドラマ化だった。

当然、夫人は受けさせたくない。
そこで、フジテレビと喧嘩別れせずに出演依頼を断るために、わざと無理難題をふっかけたのだという。
破格なギャラ、豪華キャスト、プロデューサーとして夫人も参加すること――。

しかし是が非でも田宮を起用したいフジはこれらの条件を全て飲んだ。

「本来ならばいい仕事のチャンスに恵まれたんでしょうけど、精神病を抱えて、心ここにあらずの状態ではやらせるべきではなかったと痛感しております」

しかし、息子である柴田光太郎さんは別のことを語っています。

田宮は薄毛で悩み、ロンドンで植毛の手術を受けたのだという。

「当初は頭皮に錐のようなメスで穴を開け、直接、毛髪を埋め込むものだったと聞いています。
でも、それだとすぐに毛が抜けてしまう。
それで後から額に真一文字に特殊な糸を埋め込んで、その糸に毛髪を通すように固定する方法に変えたのです。
ところがこれは激痛を伴うものだったらしく、以来、父は偏頭痛に悩まされるようになった。
父は30代の頃から精神が不安定に陥りましたが、死ぬまで続いた偏頭痛がその症状を悪化させ、最終的に自殺に至ったんだと思います」

妻と長男でどうして死の原因が食い違うのか。
その背景には、最近、自分を責めるようになった母を心配して、長男の柴田氏があえて、植毛のことをもちだしたのではないか、という見方もささやかれている。

今の医療技術があればこのようなことにならなかったですね。

2人の息子

柴田光太郎の現在

前出の長男・柴田光太郎さんは1995年にテレビレポーターとしてデビューしました。
「おはよう!ナイスデイ」を見ていた人には見おぼえがあるのではないでしょうか?
その後俳優としてもご活躍されていましたが、現在は高校で英語教師をしながら時々、芸能活動をされているようです。

「食堂」というキーワードも出てきますが、昔「マネーの虎」で「元気の出る食堂を開きたい」と語っていたからのようですね。

次男・田宮五郎の死

俳優として活躍されていた次男の田宮五郎さんは、2012年にご病気で亡くなっています。

田宮さんは2012年4月12日、くも膜下出血によって自宅で倒れ、同13日に8時間に及ぶ手術を受けた。一時は昏睡(こんすい)状態に陥ったが、リハビリができるまでに回復し、同7月にリハビリ専門病院に転院、同12月には退院していた。

2014年11月2日、早朝に交際中の浅野ゆう子の自宅で、くも膜下出血で倒れ、東京都内の病院に入院していたが、浅野に看取られ11月6日未明に死去。47歳没。

田宮五郎さんを支え続けた、恋人・浅野ゆう子さん

葬儀・告別式は近親者で済ませた。闘病を支え、交際していた女優浅野ゆう子(54)が最期をみとった。浅野は憔悴(しょうすい)しきっているという

残された長男・柴田光太郎さんには、健康で長生きをしてもらいたいですね。
そしてまた、芸能界で活躍する姿も見てみたいものです。

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